私たちは幼い頃から学校教育を受けて、教科書という本を読み、テストは筆記で答えを書き、〇×の結果をもらいます。
世の中には本が溢れ、インターネット上には言語が溢れかえっています。
本たくさんの知識が詰め込まれており、ときおり探していた正解を見つけることもできます。
このような過程の中で、私たちは本などの言語化された情報を過大評価する傾向にあります。
しかし、世の中にある知識は決して言語化された情報だけではありません。それは私たちの生活や行動が一つ一つ言語化されていないことを見れば明らかです。
この世の真実は「言語化された知識よりも、言語化されていない知識の方が多い」です。
ここでは、本などの言語化された知識を過大評価することの危険性についてまとめています。
サッカーの本を読んでも、サッカーができるようにはらなない
世の中にはサッカーに関する解説本がたくさんあります。文字だけで書き連ねた専門書のようなものや、写真と言葉でわかりやすく解説したものなど様々です。
では、中学の3年間サッカーの本を何百冊も読み続けてきた人と、中学の3年間サッカーにうちこんで毎日パスを正確に蹴る練習などをし、実際に試合にも参加して悔しい思いや成功体験を何度も積み重ねてきた人が、高校1年生でサッカー部に入ったときに、活躍できる可能性が高いのはどちらでしょうか?
それは当然、3年間実際にプレーしてきた人です。
つまり、本だけでは、実際の行動や体を動かすスキルを身につけることができないということです。
- 水泳の本を読んでも泳げるようにはなりません。
- 野球の本を読んでも野球ができるようにはなりません。
- パソコンやスマホの本を読んでも、パソコンやスマホが使えるようになるわけではありません。
- 学術的な専門書を読みあさっても、その分野で行動できるようになるわけではありません。
実践派と知識派どちらが必要とされるか?
世の中では、いい大学を出て、本を何冊も読んでいて、知識の豊富な人が優秀だともてはやされる傾向があります。
どのような企業もそういった知識豊富な人を求めます。
ですが、本当にいいパフォーマンスをあげるのはそういった、学業成績が良く、たくさんの本を読みあさって、知識が豊富な人でしょうか?
どっちの医者がいい?
仮にあなたが重病にかかり、手術を受けなければいけなくなったとします。その場合に、次のどちらの医者の手術を受けたいでしょうか?
医学の本を徹底的に読みあさり、体の構造や血管や血、各種臓器などあらゆることを細かく知っているが、一度も手術をしたことがない医者。
とても優秀で東大医学部を卒業し、海外でも医学を学び、たくさんの論文や本も執筆しています。「私には輝かしい学業成績と知識があります」と豪語しています。
一方、医学書などはほとんど読んでおらず、専門的な教育は受けていないが、これまでに何度もその手術をやりたくさんの人を治してきた人。
海外の山奥出身で、その村では医学が全く発達しておらず、自分自身でいろいろと試したりしながら実体験を重ねて技術を習得してきた人です。もちろん有名大学も出ていなければ、論文も書いていません。
あなたが選ぶのは「医学書などを読んでおらず、有名大学も出ていないが、これまでに何度もその手術を成功させてきた人」ではないでしょうか?
最近では東大を卒業したワーキングプアーが多いことがニュースになったりもしています。これは実社会で必要とされている能力を軽視し、学問から得る知識を過大評価したために発生したものです。
野球でいえばイチローは、野球マニアの人たちと比べたら知識は劣ります。ですが、実際にプレーする才能はピカイチです。
一方、野球マニアは「なんでそんなことまで知ってるの?」ということまで知っていますが、実際に野球をやらせたら、そこまでの素晴らしい成果は出すことができません。
本当にできる社長や社員とは?
有名大学を出て、経営理論を学び、MBAを取得している人は、世の中で超優秀とみなされ、どこの企業でもそういった逸材を欲しがります。
そして、そうした逸材(とみなされる人)は豊富な知識で「それは違う」「こうするべきだ」とたくさんの発言をします。
「過去にこういう事例があったから、こうしよう」「他社はこうしているから、うちもこうしよう」といって方向性を決めていきます。
それらは全て本や学問から得た知識に基いています。
こうした人は確かにすごそうに見えますが、本当にすごいのでしょうか?
一方、成功している会社の社長や社員の中には次のように語る人もいます。
どうしてなのか上手く言葉では言い表せないが、社内を歩くと、どの部署がうまくいっていて、どの部署がうまくいっていないかわかるんだ。
人を採用するときは、誰が戦力になって、誰が期待に応えられないかは数秒もあれば判断できる。
納入業者と交渉するときも、こちらを騙して利益を多くとろうとしているかは直感で見分けがつく。
会社を買収するときは、何千ページにもわたる投資銀行のレポートを読むよりも、その会社の中を歩き回る方がずっと多くのことがわかる。
これは、その人がこれまでの人生の中で、たくさんの現場を観察し人と関わり得てきた知識です。
言語化されていませんが、そこには言語以上にたくさんの情報量が含まれています。
本当にできる社長や社員は、本や専門書から得る知識よりも、実際の現場に何度も足を運んでいるモノです。
身の回りにあるものは本から作られたものか?
本から得る知識が重要か、実際に挑戦と失敗を通して得る知識が重要かについては、私たちの身の回りにあるものを見渡せば自ずと答えは出ます。
ディスプレイ、パソコン、コップ、リップクリーム、ライト、バッテリーなど、それらは全て本から生み出されたもものでしょうか?
答えはノーでは。本から生み出されたのであれば、どれもそれ通りに作られ同じ形状や性能のはずです。
本は使われていますがその情報は、実際にモノを生み出すための参考としてです。
価値をおくべきなのは「本」ではなく「行動」すなわち、トライ&エラーの連続です。
ライト兄弟は学術誌を参考にしていない
世界で初めて飛行機を作った人といえば「ライト兄弟」です。ほとんどの人が知っている名前でしょう。
ライト兄弟は飛行機を作るとき、学術誌などの本を参考にしていません。なぜなら、当時は飛行機は発明されておらず、それを研究した本は存在していなかったからです。
飛行機の製造に関する理論が広まり始めたのは、ライト兄弟が飛行機を作ってから30年も経ってからのことです。
コンテナも本を参考にしていない
マルコム・マクレーンという名前をご存じでしょうか?世界中で使われている、コンテナを使った輸送システムを開発し、輸送と国際貿易に革命をもたらした人物です。
マルコム・マクレーンは海運会社を設立する前に、コンテナ輸送に関する本を読んだわけではありません。
コンテナ輸送に関する書籍が出たのは、マルコム・マクレーンがコンテナ輸送を始めてからです。
日本の創業者たち
HONDAをつくった本田宗一郎、Panasonicをつくった松下幸之助、京セラをつくった稲盛和夫など、日本にも様々な創業者がいますが、有名大学を出て、論文を書いたりした人たちではありません。
みんな、現場で手足を動かし、そこから知見を得て、改善を繰り返してきた人たちです。
大学が世界の発展を生み出しているのか?
世の中ではいい大学を出ることこそが優秀の証とされ、いい大学を出ている人ほど社会への影響力が大きく、成功する確率も高いと考えられています。
このため誰しもがこぞって有名大学に行くことを望みます。
では、現代社会の繁栄はこうした大学を出た人たちによって生み出されているのでしょうか?そうではありません。
生物科学者のテレンス・キーリーは次のように語っています。
大学が社会の繁栄を生み出しているのではなく、社会が繁栄しているからゆとりが生まれ、大学が存続できる。
つまり、大学とは社会に価値を生み出せる人材を作り出している場ではなく、ゆとりや趣味といった領域に属するものという考え方です。
そもそも大学などアカデミックな世界は、現実社会とはかけ離れていることが少なくありません。学校の先生が教える理想や答えは、現実社会では真逆が正解ということもあります。
そもそも、あらゆるものが複雑に絡まり合った結果で動いているこの社会では、答えを一つに定めようとする行為自体が間違っているといえます。
本から得られる知識の問題は、全て言語化されているということ
本やインターネット上の情報、誰かが語った言葉など、言語化できる情報にとても重要な価値があると考えている人たちは少なくありません。
言語化することこそが最重要と考えている人は決して少数派ではありません。
しかし、言語化された情報には一つの大きな問題点があります。それは、言語化されていない情報は一切含まれていないということです。
言語とは、実際に目で見ることができる確実で、曖昧さがないものです。ですが、実際の社会において明確に一つの答えというものは存在しません。
明確に一つの答えを求める人はヒトラーのように、自分たちに都合のいい画一的な答えを導きだすものです。そして、それを信じてきた人たちは、後に、そのたった一つの答えだと思い込んでいたものが間違いだったと気付きます。
つまり、答えが1つではなく、曖昧であることを前提としている社会において、曖昧さを除外した言語による情報は、適切な情報源とはいえないということです。
饒舌な人を過大評価してはいけない
私たちには、本や言葉などの言語化された情報を過大評価する傾向があるため、世の中では饒舌な人が注目され優秀な成功者だともてはやされる傾向があります。
つまり、言葉が饒舌で表現力に長けた人は、本来の能力以上の地位を獲得することができるということです。
逆にいうと、世の中は、本当の実力がないのに、言葉巧みな人を優遇し地位を与える傾向があるということです。
人事担当や社長など、人を評価する立場の人こそ、その人が饒舌に語っていることではなく、その人自身が持っている能力や、実際に生み出した成果に目をむける必要があります。
本の役割は「答えが1つでないことを知ること」
多くの人にとって、本を読む目的は「答えを探すこと」です。
ですが、この世の中に明確な一つの答えがなく、本に書いてあること自体を信じ込むのがリスクである以上、本に正解を求めることは間違った危険な行為です。
本の本当の役割は、あなたが「こうあるべきだ」「こうじゃなきゃいけない」と思い込んでいる事柄に、他の見方があるという気付きを与えるものです。
つまり、本はたった一つの答えを探すために存在しているのではなく、答えが一つしかないと思い込んでいる固定観念を壊すために存在しているといえます。
何が正解、すなわち最も影響力が大きいかは、あなたの状態、周囲の環境、時代などによって変化します。
本はあなたの行動や結果をよりよくするためのヒントでしかありません。
あなたの行動のために本があるということを忘れないようにしましょう。
参考
この記事の内容はスイスの経営者かつ小説家でもあるロルフ・ドベリの「Think Smart ~間違った思い込みを避けて、賢く生き抜くための思考法~」の一部要約と自分なりの見解を加えたものです。
本書では人々が陥りやすい思考のワナとその対処法が、実例を踏まえてふんだんに紹介されています。
とても分かりやすく、成功したい、幸福になりたい思っている人の必読書です。
この記事に少しでも興味を持たれた方は是非実際の書籍を手に取ってみることをお勧めします。