【良心と冷酷さどちらが重要?】最悪の場合の想定と無常になることの大切さ(非武装の羊飼いの命を助けるべきか?)

思考法
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私たちはときに難しい選択を迫られる時があります。

よく耳にするものでは、トロッコ問題があります。自分の乗っているトロッコが暴走して制御不能になったとき、2手に分かれる分岐路にさしかかりました。

右には5人の作業員がいます。左には1人の作業員がいます。どちらかに進むしか選択肢がないとしたらどちらに進むか?といったものです。

これは仮定の話ですが、現実に似たようなできごとが起こっています。

ここでは、今後の判断を助けるために、アメリカの特殊軍隊ネイビーシールズで起こった事件についてまとめています。


レッド・ウィング作戦

2005年にアフガニスタンでタリバンの幹部を攻撃する軍事作戦がとられていました。敵は150人ほどの重武装をしたグループです。

作戦は米海軍特殊部隊のネイビーシールズが秘密裏に行いました。

最初に4人の偵察隊が山岳地帯に様子をうかがいに行き、敵の居場所を特定して武装集団を掃討するという作戦です。

この作戦名はレッド・ウィング作戦でした。


良心の選択

最初の4人の偵察隊は順調に歩を進め、山間部に拠点を築きました。

するとそこにたまたま3人の羊飼いが通りかかりました。3名とも武器などは持っておらず、ただ羊を連れているだけでした。

敵に報告されては困るため、兵士たちはとりあえず3人を拘束しました。

4人の偵察隊はその時ロープを所持しておらず、この3人を縛り上げて時間を稼ぐことは不可能でした。そこで、チーム内で話し合いを行いました。

一人は「作戦を危険に晒すわけにはいかないから今ここで殺すべきだ」と主張しました。

一方、マーカス・ラトレル一は「非武装の住人だから殺すべきではない。ここは逃がすべきだ」と主張しました。本人はこの判断を「私はキリスト教徒で、キリスト教徒としてそうするべきだと判断した」と語っています。

そして、多数決の結果、3人の羊飼いを解放することにしました。


選択の結果

作戦が危険に晒されたと判断した偵察隊はあらかじめ決められていた退却地点まで戻りました。

しかし、その時には敵の武装勢力に包囲されていて、激しい銃撃戦が始まりました。

結果として偵察隊4名のうち、羊飼いを解放することに賛成したマーカス・ラトレー以外は全員戦死。

助けに来たネイビーシールズの隊員11名と、救助に来たヘリコプターが撃ち落ち堕とされ、全員で19名が戦死するネイビーシールズ創設以来最悪の大惨事となりました。


唯一生き残った隊員

4名の偵察部隊のうちマーカス・ラトレーは重症を負いながらも、這いつくばって脱出し、近隣の住人に助けられたことで一命をとりとめました。

後にマーカス・ラトレーは、3名の羊飼いを開放すべきではないと主張した隊員の言葉を聞かず、自身の良心に従って解放してしまったことを人生最大の愚かな判断だったと語っています。

作戦を最優先すべきだったと。


最悪の場合を想定する

マーカス・ラトレーが判断したことは「非武装の住民は殺すべきではない」という判断です。それ自体は決して間違っておらず、むしろ称賛すべきことです。

ですが、その結果最悪の事態として敵に包囲され銃撃戦になりチームが全滅するという可能性も考慮にいれるべきでした。(実際にそれが現実として起こりました)

私たちは道徳的で感情的であることを求められる場面がたくさんあります。

ですが、そうした一時の私的な感情が最悪の事態を引き起こすことは肝に銘じておかなければいけません。


現代の日本での応用

このレッド・ウィング作戦の大失敗のような出来事は平和な日本ではまず起こることはありません。

ただし、私的な感情に左右された結果大惨事を招くことはそこら中に転がっています。

詐欺はその典型例です。ときには相手は苦しくつらいような状況を演じたり、あるいは本当にそういった状態に陥ているかもしれません。ですが、そこに同乗して大金を貸した結果、コツコツと貯めてきた全財産を失うリスクもあり得ます。

騙したり、利益をとってやろうと考える人たちは、往々にして私たちの良心や道徳心に訴えかける作戦をとるものです。

他にも、仕事でついミスした部下や周りに対して甘い判断をしてしまった結果、その後にもっと大きな大惨事につながることもあります。

目的を明確にし、時には非常なまでに冷淡になることも、取り返しのつかない大きな失敗をしないためには必要なことです。

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