人が大勢いる場所が安心はウソ。田舎よりも都会が危険な理由(集団的無知・多元的無知とは何か?偽の合意形成との違いや意味を実例でわかりやすく解説)

思考法
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田舎のような過疎の地域よりもたくさんの人が行きかっている都会の方が安心だと考えている人は少なくありません。

多くの人が見ているので何か事件に巻き込まれそうになっても、誰かが手を差し伸べてくれる確率も高いだろうと考えます。

ところが、現実社会では人がたくさんいるところでも殺人といった危険な犯罪が発生することがわかっています。

特に、アメリカのニューヨークで起こったある女性の殺人事件は全米に衝撃を与えました。なぜならその事件は38人もの住人が、女性が暴力されているところを見ていたにも関わらず、最後に刺殺されてしまう悲劇にまで至ったからです。

たとえ多くの人々がいても殺人のような事件が発生する背景には人が持つ心理的な性質があります。

ここでは、なぜ都会のような人が多い場所が安全ではないのかについて、38人もの人が見ていたのに誰にも助けてもらえなかった事件を心理面から解説しています。


ニューヨークの殺人事件

アメリカ ニューヨークのキューガーデンという地区で1964年に28歳のキャサリン・ジェノヴィーズという女性が殺害された事件が発生しました。(キティ・ジェノヴィーズ事件と呼ばれています)

キャサリン・ジェノヴィーズは深夜仕事終わりに家の近くの駐車場に車を泊めた後、家に向かって歩いていました。

すると後ろから突然ナイフで背中を刺されました。キャサリン・ジェノヴィーズは悲鳴を上げました。すると近くの住宅の明かりがついて「やめろ」という声が聞こえました。

この騒ぎを聞いて他の住人達も次々に目覚め外に目をやりました。

犯人は一度は立ち去ったもののまた戻ってきました。そして再度ナイフで彼女を突き刺しました。

キャサリン・ジェノヴィーズは悲鳴を上げ続け、その頃には38人もの住人が彼女が襲われているところを目撃していました

しかし、誰一人として警察に電話した人はいませんでした

犯人は2度立ち去った後、再度戻ってきてキャサリン・ジェノヴィーズの首を刺し、とうとう悲鳴は掻き消えてしまいました。

そこで、ようやく一人の男性が警察に電話しましたが、既にキャサリン・ジェノヴィーズは亡くなっていました。


間違った見解

当初メディアはこの事件に対し「38人の冷酷な人々」「都市の冷淡な社会」「無関心」といった批判を行いました。

ある記事ではつぎのように報じられています。

目撃者たちは、我々となんら変わらない人たちであり、事件に巻き込まれるのを恐れていた。

私たちアメリカ人は、利己的で鈍感な国民になりつつある。現代社会の特に都市生活の厳しさが冷淡な人々の群れを作り出している。

冷たい社会が生まれ、そこに住む人々は同じ住人が苦境に陥っても何も感じずに無関心でいられるのだ。

多くの人たちがこの記事の中で述べられているように「都会生活の無関心」が原因で悪いことだという結論づけをしました

しかし2人の社会心理学者によりこの見解が間違いであることが示されました。


38人もいたせいで誰も関わらなかった

2人の心理学者 ビブ・ラタネとジョン・ダーリーは「38人もいたのに誰も助けようとしなかった」のではなく「38人もいたから誰も助けようとしなかった」と説明しました。

その理由は2つあります。

誰も助けなかった理由
  1. 責任の分散:「誰かが助けるだろう」という心理が働くから。
  2. 社会的証明の原理:誰も何もしないなら、自分も何もしないという心理が働くから。


責任の分散

一つ目の理由は「責任の分散」です。もし見ている人が自分しかいなければ、その人を助けられるかどうかは自分一人にかかっています。

ですが、見ている人が38人もいると責任が分散します。「これだけたくさんの人が見てれば他の人が助けるだろう」「既に他の人が警察に連絡しただろう」という心理が働きます。


社会的証明の原理

二つ目の理由は「社会的証明の原理」です。社会的証明の原理とは、私たちヒトが「他の人たちが何を考えているかを基準にして物事を判断する」ということです。

例えば、あなたが街に買い物に出かけたときに、多くの人が空を見上げているのが目に入ったとします。すると、あなたは何も考えず自動的に周りの人たちと同じように空を見上げます。

社会的証明の原理は特に次の2つの条件下において最も強い力を発揮します。

社会的証明の原理が適用されやすい条件
  1. 答えややるべきことが不確かである。
  2. 行動をしている人たちが類似している

事件が行われたのは深夜の真っ暗な中でした。そういった中で誰かが助けを求めて叫んでいる時、それは酔っ払いどうしがケンカをしているのか、夫婦喧嘩をしているのか、今にも刺殺されそうになっているのかわかりません。

つまり、どれぐらい危機的状況なのかが「不確か」ということです。

更に、人は誰しも取り乱したりパニック状態に陥りたくないですし、周りからそう見られたいとは思っていません。

平然とした様子であたりをチラっと見渡すと37人の住人たちは冷静に傍観して事件を見ています。みんなが落ち着いているので、自分もそうるべきだと考えます。

そして、周りの人と同じように落ち着いて傍観するという野次馬的な姿勢をとるようになります。

結果として、今目の前で行われていることは緊急事態ではないと認識するようになります

point

周りに人がたくさんいるから助かるというのは、完全な誤解。


集団的無知(多元的無知)

キティ・ジェノヴィーズ事件のようにたくさんの人たちがいたからこそ、緊急事態が緊急事態だと認知されなくなってしまうことを「集団的無知(多元的無知)」といいます。

例えば、サークルや飲み会での飲酒の強要などです。誰も大量のアルコールを一度に飲みたいと思っていません。短時間で急激にアルコールを摂取する危険度も認知されています。にも関わらず、周りの先輩や上司がやっているから自分も同僚に飲むことを強要するといったものです。

「集団的無知(多元的無知)」のポイントは「これって正しいのかな?」と疑問を持っていることを、周りの過半数が「正しい」と言っているから従うというものです。

コロナは感染症が高く危険だと思う。けど、周りの人は誰もマスクをつけていない。じゃあ私もマスクをつけないでおこう。というような思考と感情です。


「集団的無知(多元的無知)」と「偽の合意効果」の違い

「集団的無知(多元的無知)」と似た心理用語に「偽の合意効果」があります。これは自分がやりたいと思っているけど「やめたほうがいい」と非難されている行動を肯定しようとすることです。

例えば、体に悪いことがわかっているタバコを「周りの同僚も、友達も、家族もみんな吸っているから大丈夫」と言って、自分がそれをやる理由をこじつけるのは「集団的無知(多元的無知)」ではなく「偽の合意効果」です。


人数と緊急事態の関係性

緊急事態が発生したときに周りにいる人たちの人数でその捉えられ方がいかに変わるかを調べた実験はいくつかあります。

どれも、人数が多くなればなるほど助かる確率が低くなることを示しています


てんかん発作を起こした人は助けてもらえるか?

ビブ・ラタネとジョン・ダーリーはたくさんの人がいればいるほど安全で安心が正しくないことを調べるために、次のような実験を行いました。

それは緊急事態を意図的に発生させ、周囲の人たちの反応を見るという内容です。

一人の学生をおとりとし、周りに人がいるところで、急にてんかんの発作が発生したフリをしてもらいました。

その結果、近くにいた人が一人の場合は85%の人が「大丈夫ですか?」と声をかけ助けようとしてくれたのに対し、5人もの人がいたときは32%の確率でしか助けようとしてくれませんでした

周りにいる人の人数助けてもらえる確率
1人85%
5人32%


異常な煙を火事と判断できるか?

別の実験では、意図的にドアの下から煙を漏れ出させてそれを見た人たちが消防署に通報するかどうかを調べました。

実験は次の3パターンで行われました。

  1. 1人だけで見つける。
  2. 3人が見つける。
  3. 見つけた3人のうち2人はサクラで煙を無視するように指示されている。

その結果は次のようになりました。

条件通報した割合
1人だけで見つける75%
3人が見つける38%
見つけた3人のうち2人はサクラで煙を無視するように指示されている10%

見つけた3人のうち2人はサクラで煙を無視するように指示されていた場合の通報率はたったの10%でした。

人緊急事態とおぼしきことが発生しても、周りの人たちが平然としていたら、自分も平然と振舞おうとする生き物であることがありありとわかります。

point

周りにいる人が多ければ多いほど、助かる確率は下がる。


観光名所での殺害事件

集団的無知による殺害事件はニューヨークのキティ・ジェノヴィーズ事件以外にもあります。

シカゴの人気の観光名所の近くで23歳の若い女子大学生が性的暴行を加えられ殴り殺される事件が発生しました。

犯人は被害者が噴水の近くにいた被害者を襲い、藪の中に引きずり込み暴行をくわえました。

その事件が起こったのは人通りの多い昼間でした。

その後の警察の調査で近くにいた人たちの何人かは女性の叫び声を聞いた人もいました。ある男性は「叫び声を聞いたが、周りの人は誰も気にしていないようなので、自分もそれ以上調べようとは思わなかった」と答えています。


都会よりも田舎が安全な理由

私たち人には意志の強さや論理とは別に自動的に発生してしまう心理や感情があります。

人が多ければ多いほど周りの人たちがしている行動と同じ行動をとろうとするのは私たちにとってはごく自然なことです。

周りにいる人が多ければ多いほど、自分がやらなくてもいいと思うのは自然なことです。

確かに都会はたくさんの人がいますが、だからこそ人々は集団的無知に陥り、何か異変が起こっていてもそのまま素通りされてしまうことも少なくありません。

一方、田舎であれば人数がすくなく、何か事件を目撃したときにそれを見かける人は1人である場合が多いです。

結果、その1人は「自分が行動しなければいけない」という強い責任感を感じて、手を差し伸べる、あるいは警察や消防署に連絡するといった行動をとる確率が高くなります。

また、田舎は住んでいる人も限られているので顔見知りである可能性も高く、余計に助けてもらえる確率があがります。

ただし、誰もいない場所が多いことも確かなので、人通りが全くないような場所は避ける必要があります。

私たちが意識すべき重要なことは次の3つです。

point
  • 周りに人が大勢いるからといって安全とは限らない。
  • 周りに人が大勢いると助けてもらえる確率が減る。
  • 周りに人が大勢いると逃げるのが遅れる可能性が非常に高い。


参考

この記事の内容はアメリカの有名な心理学者 ロバート・チャルディーニの「影響力の武器」の内容の一部抜粋と要約です。

現代のマーケティングで使われている手法が心理学の面から解き明かされ、たくさんの事例を交えてわかりやすい文章で記されています。

この本の内容を細かく知っているかどうかで、現代の市場に隠されているたくさんのワナにハマりカモになるのか、それを避けて利用する側に回れるのかが大きく分かれます。

気になった方は是非手に取って読んでみることをお勧めします。


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