【知らない・わからないの重要性】世の中は「正しいか」「間違っているか」だけでは判断できない

人間心理
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私たちは何か議論をするときに、それが「正しいか」それとも「正しくないか」について決着をつけようとする傾向があります。

学校のテストは必ず正しい回答がありました。仕事では何をやるか決めないと前には進みません。だからこそ、何かを考え結論を下すことに重きを置いています。

ですが、世の中は「正しいか」「正しくないか」の2つで割り切ることはできません。その事実に気づかないと取り返しのつかない大きな失敗に至ることがあります。

ここでは「正しいか」「正しくないか」以外の「わからない」「知らない」という選択肢の重要性についてまとめています。


医者の大きな間違い

比較的近代といえる1800年弱頃に「瀉血(しゃけつ)」という治療法が盛んに行われていました

発熱や下痢、風邪の原因は悪しき物質が血の中に混ざり込んだことが原因という考え方に基づいた治療法で、何らかの病気になったら、とにかく患者の血液を抜き取ります。重度の風邪だけでなくニキビの治療ですら瀉血が行われていました。

ヒルに血を吸わせる方法すら当たり前のように行う地域もあったほどです。

今ではほとんどの病気にとって瀉血は無意味どころか体調を悪化させることがわかっています。

瀉血をして治った人たちは、瀉血をしなくても治った人たちでした。医者たちは瀉血をした結果、症状が悪化しり、亡くなった人たちをたくさん見てきたはずです。

ですが、医者たちは何百年間もの間、瀉血治療が効果があると信じ続けていました。

その理由は「瀉血以外に効果的な治療方法がわからない」ためです。「知らない」「わからない」「何もできない」という理由を受け入れることができないという理由だけで、瀉血が行われ、何人もの命が失われてきました

point

人は「知らない」「わからない」という結論を受け入れない。


どんな人でも陥る

世の中に「正しいか」「間違っているか」の2択しかないと思い込んでしまうのは、学識がない頭がそこまでいいとは言えない人たちだけではなく、医者のような賢い人や権威を持った人も陥ります。

むしろ勉学に励み、専門性が高く権威的な地位にいる人ほど「わからない」「知らない」という第3の選択肢を考慮しない傾向にあります

「私は何でも知っている」「この世の問題には全て正しい答えがある」と思い込んでいます

そして、こうした思い込みは、それよりも優れた説が出てくるまでずっと続きます

ときには、コペルニクスが唱えた地動説のように、優れた説が出てきてもそれを決して受け入れず、死ぬまで間違った自説にしがみつくこともあります。

point

「正しいか」「間違っているか」の判断は、それよりも優れた説が出てくるまで変わらない。


答えはあるのかもしれないが、時間がかかる

「この世の問題には全て正しい答えがある」と考える人がいるように、物事を「正しい」「正しくない」のどちらかに結論づけることはできるのかもしれません。

瀉血治療も最終的には間違いであったことが証明されました。

しかし、間違いであることが証明されるまでに2000年ほどかかりました

つまり「正しいか」「正しくないか」に捉われていると、何十年もの間誤った行動をし続ける可能性があるということです。時にはあなたが生きている間に答えが出ないこともあります。


信じられているからという理由で信じてはいけない

瀉血治療から学べる教訓は、現在、広く信じられているからといって、それが正しいとは限らないということです。

偉い人が「~だと言っていた」、世の中で「~だと言われている」という理由でそれを信じ込むと、命を危険に晒すほどの大きな間違いをしでかすかもしれません。

「自分が考えていたことと違う」「自分の体験と違う」といったように、何かおかしいなという違和感を抱いたら、その違和感に素直になること重要です。

自分の直感を大切にしましょう

point

優れた説がないからという理由で、何かを信じ込んではいけない。「知らない」「わからない」という選択肢を考慮に入れる。


参考

この記事の内容はスイスの経営者かつ小説家でもあるロルフ・ドベリの「Think Smart ~間違った思い込みを避けて、賢く生き抜くための思考法~」の一部要約と自分なりの見解を加えたものです。

本書では人々が陥りやすい思考のワナとその対処法が、実例を踏まえてふんだんに紹介されています。

とても分かりやすく、成功したい、幸福になりたい思っている人の必読書です。

この記事に少しでも興味を持たれた方は是非実際の書籍を手に取ってみることをお勧めします。



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