2000年以上前に司馬遷(しばせん)によって書かれた中国の有名な歴史書、「史記(しき)」には現代でも活かせる教訓が大量に隠されています。
2000年経っても色褪せない人間の本質から学び、現代における実例や使い方を考えることで常識や固定観念を打破し、これからの人生をより良きものにするためのヒントをリアルな歴史の成功事例と失敗事例から学んでいきましょう。
富国強兵は自国を富ませるだけでは足りない。周囲との結託を強めることも重要
強大な敵に立ち向かうためには、強大な力が必要となるります。もし、今の自分たちにその力がなければ攻め入るよりも富国強兵をすることが最重要となります。
ただし、自分の組織の人材を育て、資金を貯め込んでいくだけでは不十分です。そこに、周りで力を貸してくれる人たちが加わって、ようやく本物の富国強兵となります。
孫氏の兵法の孫武が属する呉の国の王が、敵対する楚の国と戦おうとしたとき、側近にまだ力が足りないと諌められました。
そこから3年間、富国強兵に努め、国力がついてきた頃、再度、「そろそろ楚と戦ってはどうか?」と側近に確認したところ、まだ足りないと言われました。足りないと言った理由は、自国の強化ではなく、協力してくれる周辺国がまだ足りないということでした。
この3年間で敵国 楚は横柄な態度をとっていたこともあり恨みを持つ国も増えていました。そこで、そういった国々に使者を送り同盟を持ちかけました。結果、協力関係を得ることができました。
これで、ようやく攻め入るための準備が整い、楚に攻め込み勝利をおさめました。
もし、周辺諸国の協力を得られていない状況であれば、この戦いはもっと厳しく、仮に勝ったとしても大きな損害が出ていたかもしれません。
このように、組織の強化を目指すのであれば、自分たちのスキルや資金を増やすことももちろんですがそれだけでは不十分です。周囲との関係性も良好に保っておく必要があります。最初のうちは相手と同じぐらいのパワーバランスかもしれません。しかし、友好関係を築く姿勢を続ければ、相手が周囲から恨みを買うたびに、こちらの方がより優位になっていきます。そして、周囲が明らかに味方になったとき、確実に勝てる機会を得ることができるのです。
強敵には友好政策をとる
敵対するグループや会社など、もし強敵がいたら、あなたはその強敵に対してどのように接しますか?
前漢の初代皇帝 劉邦(りゅうほう)は時折攻め込んでくる強敵 匈奴(きょうど:モンゴルの遊牧民)に手を焼いていました。そんな匈奴に対し劉邦がとった作戦は、贈り物をし、娘を嫁に出す親和政策です。強敵に対し、上に出たり真正面から戦うのではなく、下手に出て相手にメリットを与えるようにしたました。結果、匈奴とは長期間に渡って友好関係を築くことができ、その平和な間、自国の強化に力を入れることができました。
そこから時が経ち、7代目皇帝 武帝の頃に国が十分に安定し強くなったタイミングで匈奴に攻め入り征服に成功しました。最終的に劉邦の判断が勝利を治めたのです。
下手下手に出ることは、決して卑しいことではありません。むしろ、敵に背中を見せるのは恥だという考え方の方が短絡的で未来の見えていない行為といえます。生き抜いて機会を伺うことは、戦いたい気持ちを抑え恥を偲ぶ忍耐が必要な難しいことです。
一時の怒りや恥という感情に流されず、自分の状況と相手の力関係を冷静に見ることができたから、劉邦は歴史に名を残すことができました。一時的に国の統治者になりすぐに滅んでいく人たちがいるなかで、劉邦は一代で滅びず長期間繁栄する国を作ることができたのです。
逆に、頭を悩ませる強敵と争い続けたらどうなっていたのでしょうか?勝ったかもしれないし、負けたかもしれません。ただ一つ確実なのは、お互い疲弊してどちらもボロボロになったということ。ボロボロになれば第三者に乗っ取りのチャンスを与えます。その先に自国の繁栄はありません。
争い、戦い、疲弊は避けるべき愚かな行為です。そこに美徳なんてものは存在しません。争うエネルギーを自国の強化に使って、最終的に安定した勝利を得るのが賢者の選択です。
将来の発展に視点を置いたとき、友好政策は讃えるべき偉大なものなのです。相手国との力関係を周辺諸国との関係性も踏まえながら客観的に見据え、こちらの方が劣っているか、力が拮抗していると判断したら、攻め込むときではなく戦いを避け力を溜め込むべきです。我慢や忍耐が要求されますが、この先の未来で発展していきたいのならそのぐらいの努力が必要です。
逆に、感情的になり我慢しきれず攻め込んでしまったり、勝つことを諦めて完全に下に付いてしまう人が多いからこそ、我慢して機会を狙い続けられる人が最終的に勝利を得るのです。
組織を強化するには、従業員の心配事を取り除け
力の拮抗するライバルが多く、取るか取られるかのピリピリした状況の中でやるべきことは、自分の組織に属する人々を豊かにすることです。怒鳴りつけ、脅して、叩いてがむしゃらに働かせ最後の一滴まで搾り取ることではありません。
領土を狙う周辺諸国が多いことを気に病んでいた斉の君主 桓公(かんこう)が、優秀な部下である管仲(かんちゅう)に「どうしたらこの先、国を守り強くしていくことができるか?」と尋ねたところ、管仲が答えた戦略は、商業を奨励し人々を豊かにすることでした。
桓公はその回答をうけ、「なぜ、国を強化するために、農民など一般市民の商業を盛んにする必要があるのか?なんの関係があるのか?」という疑問を頂きました。その問に対する回答から管仲がいかに才能に溢れていたかがわかります。
これが管仲の思考回路です。管仲は富国強兵のプロセスを考え、最終的にその回答をしました。つまり以下の逆算をしていったのです。
- 農業を奨励し、人々を飢えさないこと。
- 飢えの心配がなくなれば、着るものや装飾品を求めるようになる。
- これが商業の発展につながる。
- 商業をする際は、自国の地の利を生かす(海に面しているので塩をつくる)
- そうすれば周辺諸国から商人が集まってくる。
- 商人が集まってくれば自国に落ちるお金も大きくなる。
- もし、戦いが始まれば莫大な軍費が必要になる。
- 財政が豊かであれば、領民に迷惑をかけずに軍費を捻出できる。
このようにして国が強くなっていくための、土台として「商業を奨励し人々を豊かにする」ことが必要なのだと導いたのです。
これを現代にあてはめると、チームや会社などの組織を強化するためには、そこに属する人が仕事や練習に打ち込める状態を作り上げることが重要になります。高い給料をあげて暇な時間を増やし楽をさせるのではありません。心配事や不満を取り除き仕事に打ち込める環境をつくることが一番大切だということです。
みんなの心配事や不満を取り除けば、今目の前にある練習や仕事に打ち込めるようになります。集中して打ち込める時間が長ければ成果はかならずついてきます。
管仲の金言に政治で成功するために必要なことを一言で表した言葉があります。
「まず与えること。そして取ること」
斉の政治家 管仲
はじめから搾取していては成功を得られることはありません。何事も最初は与えることが大事なのです。この、最初は与える、そして十分に育ってからとるという順序を守ることが繁栄の秘訣です。
食料を収穫するためには、まず種を巻き育てることが必要なように、組織を強化するには、従業員の心配事を取り除き、仕事に打ち込める状態を作ることを最優先しましょう。
なお、この管仲と桓公のやりとりは「倉廩実ちて礼節を知る(そうりんみちてれいせつをしる)」という諺でも有名です。
出典
この内容は、「横山光輝(よこやまみつてる)」さんの、「史記(しき)」で書かれている内容です。
史記?中国の歴史所でしょ?なんか古臭くて、お固くて、現代人には必要ないね。時代遅れ。なんて思わないでください。
絵はシンプルで、とにかく読みやすくて、人間模様がありありと書かれています。
内容は、人が死ぬときは死ぬ、陰謀が成功するときは成功する、才能ある人も時代の流れにあわなければ滅びる、時代の流れに合えば悪いやつも成功する。そんな歴史上の事実がそのまま描かれています。
脚色されすぎたり、大人の都合で大幅カットされているわけではないので、学びも多いです。
この諺の内容はたったの数ページ(全体の0.05%)。また、記事は厳密さよりも、「わかりやすく興味を持てること」を重視しているため、もっと詳しくしりたい!と思った人はぜひ手にとってみることをお勧めします。
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