独善的な親でねじ曲がる子供の心。怒りの特性と向けるべき相手|毒親(絶対的な親)

顔を伏せて悲しそうにうずくまる小さな男の子 子育て
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もしあなたが、精神不安定であったり、楽しい子供時代の喪失を感ているなら、それはあなたの親が毒親だからかもしれない。

もし、「親に人生をコントロールされてたまるか。親なんか大っ嫌い」という感情があるのであれば、その怒りを感じているという事実こそが、親に心をコントロールされている証拠である。

その感情のせいであなたは、持っているエネルギーを親への怒りとして使ってしまい、人生をより有意義なものにするためのエネルギーを失っている。

毒親が、生きているか死んでいるかは関係ない。心の中で亡霊のようにまとわりついているイメージこそが問題である。

ここでは、毒親でよくあるパターンの子供は親のいうことに従うべきだと考える「絶対的な親」の特徴と、そういった親に育てられた子供にどういった傾向が見られるかを、防衛反応や怒りの性質から解説する。

奪われてしまった、本来のあなたが備えている尊厳を取り戻すには、今まで、自分を守るために被っていた何重もの殻を一つずつ剥いでいく必要がある。

それは、これまではっきりと意識していなかった、怒り、不安、心の傷、悲しみ、を体験することになるため、大きな心の痛みと苦しみを伴う。

急ぐ必要はない。大切なのは早さではなく、前進することだ。

絶対的な親

毒親にはいくつかの種類があるが、その中でも「絶対的な親」がとりわけよく見られる。世の中には「親は敬うべきで、反論してはいけません」といった文化や宗教があるように、こういった親は、「自分自身が絶対」「子供は親のいうことに従うべき」という考えをもっている。

そのため、子供は親の気分次第でどんな罰を受けるか分からず、いつもビクビクしなければならない。対抗することはもとより、本当のことすらも言えない。

特に、幼い子供にとって親とは、食事、住む場所、そして愛情を与えてくれる、生きるためになくてはならない存在である。

このため、たとえ親が間違っていても、子供にそれを知る術はない。幼い子供ほど、親は自分にできないことがなんでもできる完璧な人間だと思い込む。

子供の成長過程であるイヤイヤ期を認めない

2〜3歳以降になると、知力がついてきて、次第に親の言うことに反抗するようになる。「イヤ!」と言うことで、親の好み、価値観、権威などと対決して、自分のアイデンティティを打ち立てていく。

反抗したり、親から離れようとすることは、正常な成長である。

ところが、心の不健康な親は子供が反抗することに理解を示すことができない。

幼児期から成人後に至るまで、子供が自分の好みや価値観に反発し、考えや行動が違うことを自分に対する攻撃と受けとめてしまう。

そういう親は、意識的に、あるいは無意識で、子供を自分より弱い立場にしておいて、依存度を上げることで管理しようとする。

子供の精神の成長を助けるのではなく、それを抑え込み潰そうとしている。

さらに悪いことに、こういった親は「子供のため」と思ってそうしていることが多い。

実際に、文化、宗教、学校など、親に反抗することをタブー視している環境は多い。「親に口答えするんじゃありません」その言葉が子供の精神を押しつぶしている。

子供を産んだからという理由で、子供の全てをコントロールする権限は親にはない。

子供が受ける影響

親がいくら正しいと思っていても、子供にとって自分の精神の成長を潰されることは理解できない。

子供は自尊心を深く傷つけられ、個として独立しようとする成長の芽を刈り取られてしまう。

そして、傷つけられる恐怖や不安は、心の奥底に刻まれ、成長するとともに根を張っていく。

子供時代にそういう扱いを受けた人は、有能だったり、社会的に成功していたとしても、内面には無力感と不安感を抱えている。

事実を捻じ曲げて記憶する子供

自分の精神を否定されるなど、強いストレスを与えられた時、それがどうすることもできない場合、人は自己防衛反応として、その事実を捻じ曲げる。

自分が受けた苦痛という事実を捻じ曲げにる方法には、「事実を否定」と「事実を認めるが理由付けする」パターンがある。

無意識的な、事実の否定

自分にとって不都合なことや苦痛となる事実を、それほどでもないか、あるいは、そもそも存在しなかったかのように振る舞ったり、信じ込ませる。これは、無意識で発生する。

心理学では「事実の否定」といい、自己防衛のための原始的で、かつ、最も強力な方法である。

例えば、本当は親に苦痛を強いられているにも関わらず、親は重要な存在で、賞賛に値する人間だと主張したり、本当にそう信じるなどだ。

時には、親が立派な人間だと信じるために、幼い頃にされたことを忘れてしまっている場合すらある。

しかし、このような事実の否定で得られる平穏は一時的なものでしかなく、そのために支払わなくてはならない代償は計り知れないほど大きい。

圧力釜のフタと同じようなもので、圧力を溜め続ければ最後には爆発してしまう。そうなると心は危機的な状態になる。

圧力弁を開けてたまった蒸気を逃すように、自分が否定してきた事実と正直に向き合うことができれば、爆発という最悪の事態を防ぐことができる。

親による事実の否定

しかし、事実と向き合うことは簡単なことではない。それは、事実の否定が自分にだけ生じるものではなく、親にも生じるからだ。そして、それは子供の否定よりも強い場合がある。

例えば、「そんなに酷くはなかったよ」「そんなふうじゃなかった」「それは嘘だ」「そんな小さな頃に本当のことがわかるわけがない」といったような反論され事実を否定される。

このため、事実を確認しようと努力した時に、それを否定され自信がぐらついてしまうことがある。

意識的な、事実を認めるが理由付け

事実を捻じ曲げるには、無意識的に、自分にとって不都合なことや苦痛となる事実を、それほどでもないか、あるいは、そもそも存在しなかったかのように振る舞ったり信じ込ませることがある。

意識しないように、強制的に意識の外に追いやってしまう方法だ。

一方で、苦痛を認めはするものの、「お父さん / お母さんが〇〇するのは、~するからだ」というように、理由付けをして正当化してしまうパターンがある。

例えば、以下のような事を指す。

  • お父さん / お母さんが私に大声を出すのは、彼らがいつも小言を言われているからだ。
  • お父さん / お母さんがいつもお酒ばかり飲んでいるのは寂しいからなんだ。僕がもっと家にいてあげればよかったんだ。
  • 父 / 母によく叩かれたけど、それは、正しく生きるために必要な愛情なんだ。
  • 父 / 母がちっとも構ってくれなかったのは、彼らが不幸だからだ。

これらの事実は正しいかもしれないし、正しくないかもしれない。ただ、共通していることは、「本当は納得していないのに、自分を納得させようとしている」ことである。

表面的には納得したように見えても、潜在意識は本当は自分が納得していないことを知っている。

理由付けの具体例

理由付けの例として、父親に対する怒りを正当化し、内心の恐れや不安を口論という形で表してしまう女性の例がある。

彼女の理由付けは以下になる。

離婚した相手も含み、これまでに付き合った男たちはみな去っていった。いま離婚しようとしている夫もまったく同じパターンだ。

いつも男運が悪く、合わない相手ばかり選んでしまう。付き合い始めた頃はみな最高なのに、それがずっと続いた試しがない。

小さな頃から母はいつも具合が悪く、父が外に連れ出して遊んでくれた。だが、父はある日突然、家を出ていってしまった。

きっと、口うるさいことばかり言う母親に愛想をつかしたのだろう。その後は手紙も電話も何一つなかった。

父が戻ってくるのをずっと待ち続けていたが、ついに帰っては来なかった。父には同情している。彼はとても活動的な人だったの。

彼女は子供の頃から今の年齢まで、心の中で理想化した父親が返ってくることをずっと待ち続けているようなものである。

父親が本当はいかに無情で無責任であったかという事実に直面することができていない。自分が傷つきたくないから理由をつけて、あたかも父親が素晴らしい人物であったかのように理想化している。

この父親を理想化するという理由付けが、幼い頃に自分を捨てた父親に対する怒りという事実の否定になっている。

その怒りが、他の男性との関係において噴き出してしまい、付き合い始めはうまくいくが、お互いを知り合ってくると、内心の恐れや不安が口論となって現れてしまう。

結果、男たちはみな去っていくが、彼女は自分が親しくなればなるほど、すぐ人につっかかって口論し、そうすると自制がきかなくなることが原因だということを理解していなかった。

これは女性の例だが、男性に置き換えても同じ状況になる。

離婚した相手も含み、これまでに付き合った女性たちはみな去っていった。いま離婚しようとしている妻もまったく同じパターンだ。

いつも女運が悪く、合わない相手ばかり選んでしまう。付き合い始めた頃はみな最高なのに、それがずっと続いた試しがない。

小さな頃から父はいつも具合が悪く、母が外に連れ出して遊んでくれた。だが、母はある日突然、家を出ていってしまった。

きっと、口うるさいことばかり言う父親に愛想をつかしたのだろう。その後は手紙も電話も何一つなかった。

母が戻ってくるのをずっと待ち続けていたが、ついに帰っては来なかった。母には同情している。彼女はとても活動的な人だった。

これは、男性が幼い頃にいなくなってしまった母親を理由づけし正当化している状況である。母親が自分を捨てていなくなってしまったという悲しみや怒りに向き合うことができていない。

怒りの特性と、怒りを向けるべき相手

息子と娘を怒るお父さんとお母さん

自分の中に内在する怒りをぶつける対象を間違えると、周囲にいる人がどんどんと不幸になっていく。

自分を含めみんなを不幸にしていく「怒り」のようなネガティブな感情の間違った発散方法は、「人はネガティブな感情を向けるべき相手ではなく、より弱く安易な相手に向けてしまう」ことが原因で発生する。

例えば、以下のような流れになる。

不幸を生む怒りの発散の流れ

ある人が職場で上司から怒鳴られる。

ストレスが溜まるが、上下関係や自分のポジションを守るために言い返すことができない。イライラを抱えたまま家に帰宅する。そして、妻 / 夫に当たり散らす。

イライラをぶつけられた妻 / 夫は、長男・長女にわめきたてる。

長男・長女は妹・弟をいじめる。

妹・弟が犬を蹴飛ばす。

犬は猫に噛み付く。

この流れは単純だが、驚くほど正確な真実を表している。

本来、各々の怒りは、犬なら子供に、子供なら親に、親ならパートナーに、パートナーなら上司に、上司は問題の対象に、向けられなければならない。

先程の女性の場合

先程紹介した、父親を理想化し、その不安や怒りを他の男性に向けてしまう女性でも同じことが生じている。

彼女は自分から去っていった男たちを憎んでいて、自分は騙されて彼らを好きになり、利用されたと思っている。

しかし、実際は、父親に幼い頃に捨てられた不安、不信感、怒りを、付き合った男性にぶつけている。

もし、彼女が幼い頃に、自分を捨てた父親に対して、「私は、不安、不信感、怒りを持っている」と認めていれば、父親を理想化し、そのネガティブな感情を他の男性に向けることはしなかった可能性が高い。

つまり、怒りの矛先を間違えた結果、彼女とその周りの人達がどんどん不幸になる結果になっている。

親が生きていようが死んでいようが、過去の事実は変わらない

「親は絶対」「いつも自分が正しい」という絶対的な親の呪縛は、その親が死んでも消えない。そればかりか、一層強くなる。

それは「死屍に鞭打つ」ということわざがあるように、世の中に、死んだ人間を批判してはいけないという風潮があるからだ。

どんなにひどい親でも、ひとたび死ねば、存命中に行ったひどいことについて批判はおろか触れてはいけないような気分にされてしまう。

そのため、毒親は墓の中で安眠し、残された子供はネガティブな気持ちにずっと付きまとわれることになる。

しかし、親が生きていようが死んでいようが、過去に起きた事実は変わらない。親によってもたらされた苦痛があるならば、相手が生きていようが死んでいようが、その親を引きずり出し、自分と同じただの人間として現実的に見る勇気を持つべきである。

そうすることで初めて、親と対等な関係になることができる。

参考

この内容は、アメリカで医療関係のコンサルタントやセラピストとして著名なスーザン・フォワードが書いた「毒になる親 一生苦しむ子供」の要約と一部抜粋です。

この本は世界的にも著名で、「毒親」という言葉の起源になっています。

ここでご紹介した内容はほんの一部で、本書にはより興味深い内容が多く記載されています。もし、気になった方がいれば一度手にとってみることをお勧めします。

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