youtubeなどの動画アプリやaudibleなどの本朗読アプリには再生速度を変える低速・倍速機能が備わっている。
世の中にはコンテンツが無限にあり、誰もがタダ(あるいはほぼタダ同然)でそのコンテンツに触れられる時代。そんな中で、コンテンツを見たほうがコスパがよくて得だ。という考え方がある。
自分は完全に倍速派。理解できる能力があるなら、スピードを上げた方がいいと思っている。基本的には1.5~1.7倍ぐらいが心地よい速度。
ただし、2.0倍は既に知っている情報かそれに近いものでないと思考が追いつかない。内容の認知度や濃さ以外にも、人によってゆっくりしゃべる人と、早くしゃべる人がいるのでそれに合わせて速度を調整する。
せっかく聞いているのに内容が聞き取れず、概要がつかめず、理解できないのであればその時間はムダだと思う。
世の中の情報は、本もそうだが、500ページぐらいの1冊の中に欲しいと思える情報の量はとても少なかったりするので、そもそもムダが多いもの。
だからこそ、内容が聞き取れるレベルの倍速で聞いて、自分のアンテナに引っかかるところがあったら、そこでストップして、内容をメモ帳やブログに書き出し思考をまとめるという作業を繰り返す。
これが自分なりに効率がいいと思っていた。
倍速で聞いたほうがいい理由
自分なりに倍速で聞いた方がいいと思う理由が実体験としていくつかある。
自分は大学生時代などはテレビは不要でエンタメもほぼみないというタイプだった。その分熟考するのが好きだった。
ただ、それが行き過ぎてしまうと、周りの話を理解できないことが多くなる。知らないことに対して劣等感を感じることもある。また、知らないが故に自分知っている知識の範囲内が常識となってしまい反発感を抱いてしまうことさえある。
村上春樹さんの本も1ページ読むのに2~3時間かけて読んでいたこともある。ただ、結果としてそれで幸せになったかというと、決してそうではなく、時間を浪費したり、考えなくてもいいことを考えてしまい、どちらかというとネガティブな側面の方が大きかった。
一方で、情報を入手する量を増やしてからは、「そういう見方やそういう考え方があるのか」という目からウロコな発見や、自分の頭をなぐられるぐらい固定観念を覆してくれる情報がたくさんあり、そいうった思い込みが減れば減るほど、自分が幸せになったと実体験として感じる。
海外や外国人にたいする偏見も同じだった。大学に入学するまではずっと日本にいて、日本がすべてで、アメリカや中国は嫌い、黒人は危険といったありきたりな考え方しかもっていなかった。
でもバックパッカーや仕事でいろんな国にいくようになり、各国の人にとてもお世話になり、文化に触れ、話を聞くうちに、思い込みや固定観念どんどんほぐれた。
アメリカは素晴らしい国だし、中国の人は優しくて親切な人が多いし、頭が良くて礼儀正しい黒人もいる。
過去の自分と今の自分を比較しても、たくさんの情報に触れて、より多くのものを受け入れられるようになった自分の方が幸せだと感じる。
食わず嫌いや、なんらかの見ない理由を自分の中で作ってしまうより、とっかかりとして知ることが大事だと思う。
まずは見てみないとわからないし、本当に好きだと思った作品やポイントがあれば何度もそこを聞き直せばいい。
情報に触れる > アンテナにひっかかるものを探す > ひっかかったものを深ぼる という作業が効率よく充実していると思う。
人生の時間は限られているから、自分にとって価値ある情報を効率よく見つけ出すために、情報を倍速で聞くというのは十分にありだと思う。
標準速度できくことで飽き飽きして途中で辞めてしまったり、時間がかかるのかーと思って重い腰を上げられないのはもったいない。
ホモサピエンス全史やLIFE SPANなどの超長文を一語一語細かく細かく読んでいたらどれだけ時間があっても足りない。化学式や物質名など倍速で聞き流すところは聞き流し、要点を抑えた方がいい。
(もちろんなんでもかんでも倍速ではない。OasisのWhateverや自然のせせらぎを倍速で聞いたら台無しになる。映画シャーシンクの夜にやシンドラーのリストを倍速で見たら台無しになる。)
有識者は倍速にしない?
あるメディアで「倍速にすべきか?どうか?」問題を取り上げているときに、この人達の考え方はすごいなと思っている方々がほとんど倍速反対派だったのに驚いた。
倍速で効率よく情報を得て処理していくことが善だと思い、いまどき通常速度で聞くなんてノロマで技術に疎い人がするものだと思っていたけど、これもまたヒドイ固定観念だった。(ほんと最悪、、)
今回、この議論を耳にすることができ、自分の思い込みをとっぱらえたのはとてもありがたい。
有識者が倍速にしない理由
倍速にしない理由を聞いていたらたしかに納得できるものが多かった。
- 間があることで心理描写を想像し理解することができる。
- 2時間の作品があれば、4時間かけてもっと味わったほうがいい。
- 時間をかけて読み込んだ方が、作者が書いたこと以上に意図を読み込める。
- エンターテイメントでコスパを考えることがナンセンス。
- エンターテイメントはそもそも暇つぶし。暇を潰すためのコンテンツを早く見る必要がない。
- 「理解」とは、短時間でどれだけ多くの情報を入れたかではなくて自分の中で納得し体系化できたか。
- 会話を聞いて「これはこういうことだろうか」と思考して頭に入れるまでに時間が必要。
- 思考する時間を飛ばす = 考えない なのでマヌケ世代といえる。
- 会話をあわせるためなら倍速でいいけど、じっくり深めるなら一つの作品を掘り下げたほうが良い
- みんなが見てるものを見てなくて、みんなが見てないものを見てるから、なんでそれ知ってるの!?となる。
- 世界中にコンテンツが溢れているので倍速にしたところで、ごく一部しか見れない(0.0000~%の話し)。
- どうせ一部しか見れないなら、「これを見ずに、これを見ることにした」という選択の実感を積み上げることで、自分の価値基準をつくることができる。
倍速で見ない人 = 有識者だと感じる理由
有識者の考え方を聞いて納得する面が大きかった。特に次の3つの言葉はすごく刺さった。
- 「みんなが見てるものを見てなくて、みんなが見てないものを見てるから、なんでそれ知ってるの!?となる。」
- 「世界中にコンテンツが溢れているので倍速にしたところで、ごく一部しか見れない」
- 「取捨選択の判断をして実感を積み上げることで、自分の価値基準をつくることができる」
それぞれの言葉を分解してなぜ刺さったかを詳しく解説してみる。
みんなが見てるものを見てなくて、みんなが見てないものを見てるから、なんでそれ知ってるの!?となる。
この言葉を聞いた時にパッと頭に思い浮かんだのが、島田紳助さんの言葉。
みんなが知っていることはしらなくていい。みんなが知らないけど、関連ありそうなところを掘り下げることで「なんで知ってるの!?」という博識者として見られるという考え方。
現在のように誰でも等しくほぼ無料で情報が手に入る時代だからこそ、誰もが知っていることはWEBに任せて、周りの人があまり知らないことを突き詰めていった方がレアな人材になれる。ありふれたコンテンツの中で希釈されないので世の中から求められる割合も高くなる。
なにより、自分が「これが好きだ」「これをもっと知りたい」ということを見つけて深堀りし続けられ、そして世の中に貢献し生活していけるできる人生は最高に幸せだと思う。
自分が目指すべきは、他に脇目もふらず、自身を持って自分なりの興味をつきつめること。
世界中にコンテンツが溢れているので倍速にしたところで、ごく一部しか見れない
すごく納得させられることがあった言葉。人間には「知りたい」という知識欲がある。そして、自分はそれが比較的強い方でコンプリートしたいという気持ちがある。
たくさんの人と話す上でも、より多くを知っていた方がいいという価値観が自分の中にある。だから、海外ドラマや誰かがいいと言っていた作品などはできる限りみつくしたいという、強迫観念に似た欲求がある。
全体像が見えていないから、そう思い込んでしまっていたのかもしれない。
もし、世界中にコンテンツが溢れていて、自分の一生をかけて常に倍速で見続けても、世界中のコンテンツの総量の0.0000~1%しか見れないとしたら、そもそもコンプリートしようとすることに意味があるのか?という考えに至る。
そんな達成もできず大した意味もないことに、自分の貴重な時間を使うなんてもったいなさすぎる。そんなことに時間を使うなら、自分の好きなこと、気になっていることを掘り下げる人生を歩みたい。と気づかせてくれた一言だった。
その回答に思考していきついているところが有識者だと感じる点に他ならない。
取捨選択の判断をして実感を積み上げることで、自分の価値基準をつくることができる
この言葉を聞いて頭に思い浮かんだのは、セネカの人生の短さについて。セネカの言葉でとても印象に残っているのは、
- 自分の時間を生きるためには、物事の本質を知っている必要がある。
- 自分の時間を生きていない人は「ああ忙しい」「時間がもっと欲しい」が口癖になっている。
- 自分の時間を生きている人は少ない。自分の時間を生きているかどうかは過去を振り返った時に、心地よく過去のすべてを旅することができるかどうか。
- 自分の時間を生きていない人は90歳まで生きたとしても「時間が足りない」と嘆く。自分の時間を生きている人は、たとえ寿命が10年しかなくても自分の人生に納得し満足できている。
- 自分の時間を生きている人は、自分が今何のために何をしているかがわかっている。
仕事やパートナーやその親族に追われて「忙しい」「時間がもっと欲しい」と嘆いている不幸な人はたくさんいる。
そこから開放されて、自分らしい人生を生きるために必要な行動がまさに、「取捨選択の判断をして実感を積み上げることで、自分の価値基準をつくる」だと感じた。
充実した自分の人生を生きたければ、倍速でたくさんのコンテンツに接するよりも、その手前で、なぜそのコンテンツを見るべきかどうかの判断を積み上げていくことの方が重要。
倍速は善か?悪か?何が最適か?
結局、倍速で見ることは善か?悪か?だが、結論から言うと、どちらでもいい。その人の価値観や目的、現在の仕事によって、それに見合った方を選択すればいいということ。
例えば、より多くのコンテンツを幅広く知ることが幸せで、「世界中のコンテンツのほんのコンマ数%しか見れないとしても、その数%の数値を上げることを目標として生きる人」がいれば、倍速でききとれる能力を上げて(早ければ早いほどいい)よりたくさんのコンテンツに触れることが大切になる。倍速で聞き取れるというのは立派なスキルで称賛に値する。
他にも、世界中のより多くの人と共有できる話題をもつことを目標としているなら倍速という手段はその目的に適っている。
一方で「取捨選択の判断をして実感を積み上げることで、自分の価値基準をつくる」という目的を持っている場合は、なんでもかんでも倍速という手段は悪手になる。
人生のフェーズや自分が置かれている状況でもとるべき手段は変わってくる。
大切なのは自分の目的を明確にすること。なんのために倍速で見るのか?あるいは倍速にしないのか?、どういうコンテンツなら倍速にして、どういうコンテンツなら倍速にしないのかを理解し納得した上で行動していること。
確実に悪だと言えること
倍速が善か?悪か?の議論で確実に悪だといえることがある。それは、「倍速で見ている人 = 愚か・無能」や、「標準速度で見ている人 = 愚か・無能」というレッテルを貼ること。
そもそも価値観によって取っている手段が異なるだけの話しなので、相手の価値観を理解せず否定するというのが悪。
そして、相手に自分の価値観を押し付けるのも悪。同じ行動をとらせようとすることが悪。
「自分はこっちの方が好き。あなたはそっちの方が好きなんだね。」で終了する話し。
否定や押しつけという行動をそうだと意識せずにしてしまうのは、日本の学校教育の弊害でもある。たくさん詰め込みたくさん知っている人の方が点数が高く・能力が高いとジャッジすることで、その価値観を幼少期から植え付けている。
そこに疑問を抱かなければ、対極にある考え方を「それはダメだ」と受け入れず否定してしまう人間がたくさん量産されてしまうのはしょうがないことでもある。
人は置かれている状況や育ってきた環境で異なる価値観を持つ。
何が良い悪いではなく、私の価値観はこれ。あなたの価値観はそれなんだね。と価値観の多様性を受け入れることが大切。