2000年以上前に司馬遷(しばせん)によって書かれた中国の有名な歴史書、「史記(しき)」には現代でも活かせる教訓が大量に隠されています。
2000年経っても色褪せない人間の本質から学び、現代における実例や使い方を考えることで常識や固定観念を打破し、これからの人生をより良きものにするためのヒントをリアルな歴史の成功事例と失敗事例から学んでいきましょう。
自分が王になりたいと思う者ではなく、周りが王にしたいと思うものが王になる。
偉くなりたい。人から認められたい。上に立ちたいそう思う人は世の中にたくさんいると思います。中国の歴史の中でも君主になることを望み、血を血で洗う争いを続けてきた人たちはたくさんいます。一時的に君主になったとしても、謀反にあったり敵国に攻められて滅んだ人もたくさんいます。
そんな歴史の中で、成功事例として名があがる普の君主 文公(ぶんこう)は、自分が統治者になりたいと思っていたわけではなく、むしろ、いくども権力争いから逃げ続けてきたのにも関わらず君主になった存在です。文公が君主になれたのはなぜだったのでしょうか?成功の秘訣は何だったのでしょうか?
文公が君主になれた大きな要因は2つです。(1)上に立つ権利(血筋)を持っていたことと、(2)困っている人を助け、家臣や家族をたちを大切にしてきたことです。その結果、本人は君主になりたくない、今の暮らしで満足している、ここから動きたくないと言っているにも関わらず、周りが、
「このようなお方をこんなところに埋もらせてはいけない」
「私を殺して大業が成就するなら喜んで死にましょう。あなたは、一国のみならず多くの国の上に立つお方です。」
「私はあなたをこのまま終わらせたくありません。それが嫌なら私の首をはねてくだはい。」
そうまで言いい、嫌がる文公を納得させ、そして最終的に君主にまでなったのです。自分の意思ではなく周りの意思。周りがその器量を心底認め、この人に君主になってもらいたいと思う人が多かったからこそ、君主になってからも国を安定して治めることができたのです。
もし、力技で周りを押さえつけ上に立っていたとしたら、恨みを持つ者や反発する者がたくさんいて、その地位から引きずり下ろそうと虎視眈々と常に狙われていたでしょう。一時的にそういった難を乗り越えても、その危機を常に意識しながら生きていかなくてはいけません。力で認めさせた地位に安定はないのです。
今の時代、多くの会社や組織の中で、誰もが血筋に関係なく上に立つ権利を持っています。努力して結果を出し続ければ、誰もがその権利を手にすることができます。それも1番になる必要はなく、一定数以上の人たちが認めれば十分といえます。これができると、文公が持っていた成功のための第1の条件は満たされます。
次に必要になってくるのは、上に立ちたいと思うあなたの思いではなく、あなたに上に立ってほしいと願う周りの思いです。そのためにできることは、自分の実力を見せつけ力技でねじ伏せ認めさせることではなく、周りを助け大切にすることです。
困っている人がいたら親身になって助ける。周りを気遣い率先してできることをやっていく。そうすれば、あなたが上に立ちたいと思う思わざるとに関わらず、自然とあなたを上にしようという動きが起こります。そして、そうやって手に入れたポジションこそが、周りも協力的で長期的に持続するものになります。この先、あなたが困難に直面したときにあなたを引きずり下ろそうとするどころか、あなたをサポートしてくれる可能性の方が高くなります。
逆に、自分の実力を見せつけ、裏で駆け引きをして上を目指した場合、一時的には上に立つことができるかもしれません。しかし、当然ながら反感を抱く人も多く、揚げ足を取られないように気を張り続けていなければいけないでしょう。近寄って来る人を、こいつらは敵か?それとも信じていいのか?というように疑いの目で見ることも増えるでしょう。あなたが困難に直面したときにあなたを引きずり下ろそうとする人がたくさん出てくるでしょう。
偉くなりたい。人から認められたい。上に立ちたい、そして長期的に安定的な地位を得たいと思うのであれば、実力をつけていくことはもちろん、それと合わせて、周りを助け大切にすることで、未来に向けた種まきをしていきましょう。これを継続できれば、あなたは確実に上にいけるでしょう。あなたが望まなかったとしても、周りが放っておかないはずです。
相手が困っていたら助ける。
「相手が困っていたら助けるのは当然のこと」と頭ごなしに言われ教育されている人も多いと思います。人を助けることはもちろんいいことですが、もし義務的にやっているのであれば、その行為の裏にあるメリットを知っておくと、困っている人を助ける行為を納得して快くできるようになるはずです。
相手が困っている時に助けることは、自分のエネルギーや時間を使うことになります。時には身銭を切ることにもなるでしょう。
通常であれば、困窮した相手を助けてあげれば、自分が同じ立場に陥ったときに助けてくれるというメリットが考えられます。
ただし、時には過去に助けたにも関わらず、相手がこちらの救援を無視する裏切りに合うことがあるかもしれません。そうなった場合でさえも、過去にその人を助けたことはプラスに働きます。
過去に助けた人に裏切られたとしても、最終的にプラスになる
もちろん、あなたとその約束を破った2人の間だけで見るとあなたは裏切られたことになります。しかし、ここで大事なのはあなたと相手の周りにいる人たちなのです。
あなたが相手が困って助けを求めて来た時に快く助けてあげれば、それを見ていたり口伝いで知った人たちは、そういう人こそ上に立つ器だ。そういう人こそ組織を治めていくべきだと思います。
逆に、あなたを裏切った相手は、一時助けられたのにも関わらず相手を裏切った人情がない約束を破る人として認識されます。周りの人は、もし今後、助けてあげたとしても自分も同じように裏切られるだろうと考えるようになります。
確かに裏切られた瞬間だけに目を向けてしまえばあなたが一方的にキツい状況なだけなのですが、その先の未来を見ると、あなたは約束を守り信頼できる人との評判が立っている一方で、相手は人を裏切る信頼できない人との評判が立ち、時間が経てば経つほど、あなたの味方は増え、相手の味方は減っていきます。相手側の優秀な人が、相手を見限ってこちら側にくることも大いに考えられます。
つまり、頼ってきた人を助けるという行為は、相手に裏切られる裏切られないに関わらず将来的にはプラスになるのです。
人を助けるという行為が最大限の効果を発揮するのは、あなたが相手を助け、そして相手が裏切ったときです。この2つの条件が揃って、あなたが完全に優位になる状況が発動するのです。その条件が発動するまで数年、いや数十年かかるかもしれませんが、決してマイナスになることはありません。未来への投資と思って困っている人を助けていきましょう。
逆に、あなたが、人は信用できないとか、自分が損するといった理由で相手を助けなかった場合、あなたの未来の立場はどんどん貧弱になっていきます。協力してくれる人は減り、優秀な人材はあなたの元を去っていきます。後に残るのは、あなたに共感する、人を信用しない人と、自分が損をするのが嫌な人ばかりになるでしょう。
歴史から見る助けた者と、裏切った者の末路
中国春秋時代に秦(しん)の国の君主 穆公(ぼくこう)と、普(しん)の国の恵公(けいこう)のストーリーが出てきます。(国名の読み方が同じなのがややこしい、、)
ある年、普で大きな干ばつが発生し、食料がなく大勢の餓死者が出た時がありました。この時、惠公は穆公に食料の援助を申し込みました。穆公は過去にした約束をまだ守ってもらっていないなど、惠公に対し不信感があったため援助することを躊躇しました。しかし、側近たちの、
「飢饉は天のなす業。困った時には助け合うべき」
「確かに惠公は恩を仇で返した憎むべき相手です。しかし人民には関係ありません。援助すべきです」
という声を聞き入れ大量の食料援助を行いました。
その、2年後、今度は秦が同じ状況に陥り、恵公に対して食料支援を申し込みました。しかし、惠公とその側近たちはこの時をチャンスとばかりに秦に攻め込みま戦闘が始まりました。この戦で、秦は最初苦戦したが、惠公に愛想をつかせ亡命してきた有能な将の活躍もあり最終的に勝利しました。
このときは国が疲弊していたこともあり、相手の国に攻め入ることなく戦が終了しました。しかし、後年、再度、秦と普の間で歴史を決める大きな戦いが行われました。このとき、これまでの裏切りの過去があったこともあり、多くの将たちが普を見限り秦につきました。結果、秦が勝利しました。そして、秦の穆公(ぼくこう)と共に戦っていた重耳(ちょうじ)は普の者たちに喜んで迎え入れられ、普の24代 君主 文公となりました。
この歴史的戦いの流れから見ても、裏切りを繰り返した国では、有能な部下が敵国に亡命し、そして、最後は内部分裂により裏切りにあい終わっています。
一方で、助けることを率先して行ってきた国は、敵国から有能な部下が自軍に降ってきて戦力となったり、最終的には多くの敵国の者たちがこちらの味方になってくれたことで勝利を治めています。
つまり、頼ってきた人を助けるという行為は、相手に裏切られる裏切られないに関わらず将来的にプラスになることを歴史が証明しています。
人徳があるから危機から逃れられる
敵に攻め入られる時に、その前に上手く逃げて生きながらえられる人がいます。それができるのは、敵が攻めることを画策した時に、教えてくれる人がいるからに他なりません。
時代の流れの中で、実力や軍事力で劣ってもいても覇者になる者が出てくるのは。助けてくれるものがたくさんいるからです。
晋の君主になり、歴史的な成功者として名を残した 文公(元の名を重耳)は、父や弟に命を狙われていたことがありました、しかし、その度に、そのことを教えてくれる人がいて、いち早く対策を打ち生き延びることができました。
これは、文公が人を助けることを常としてきたからです。最初にたくさん与えていれば、後から自然とその元は取れてくるのです。命を救ってもらうなんて、どんなお返しよりも価値があることですよね。人を助けておけば、そんな素晴らしいお返しをもらうことができるのです。
どんな苦境があっても生き延び、最終的に成功する人は「自ら進んで与えること」をやっています。今まで与えてきたものお陰で要所要所で生き延びることができるのです。
自ら進んで与えましょう。一番大事なことは「まず与えること。とるのはそれから」です。
どんな客人でも盛大にもてなせ
落ちぶれてる人、みすぼらしい人、嫌いな人が訪ねてきた時でも、盛大にもてなすことが大切です。
なぜ、なんの得にもならないような人や嫌いな人に良くしてあげる必要があるのか?何のメリットがあるのか?と思うかもしれません。しかし、そういった人たちでさえ盛大にもてなすことには大きなメリットがあります。
まず、人というのは、どんな人でも、良くしてもらったらその良くしてもらったことを覚えている生き物です。逆に、適当にあしらわれたら適当にあしらわれたことを覚えている生き物です。特に、自分が苦境に立たされている時、苦しい時に、どう扱われたかは一生残ることになります。
今、その人は落ちぶれてるかもしれない、みすぼらしいかもしれない、何の地位もないかもしれません。しかし、この先5年、10年、20年の中で、その人が大出世していくことは大いにあります。むしろ、落ちこぼれてる人ほど、成長する可能性とその伸び幅は大きいです。
つまり、落ちぶれてる人、みすぼらしい人、嫌いな人が訪ねてきた時でも、盛大にもてなすことは、未来への大きな投資になるのです。
その人が将来成長する確率は、宝くじなんかよりよっぽど高いです。宝くじに投資するぐらいなら、もてなすことにお金を注ぎ込む方がよっぽど確率の高い投資になります。
ただし、結局は確率です。宝くじが当たらないように、何の見返りも得られないかもしれません。でも、見返りが得られるチャンスも大いにあります。
それに、落ちぶれてる人や困り果てている人が家を訪ねてくることなんて、長い人生の中でもそれほど多くありません。宝くじみたいに毎年恒例で買えるものではないです。その特大のチャンスを逃してはいけません。
晋の君主になった文公は、君主になる前、60歳の高齢で権力も弱い状態でした。このため、旅の途中で寄った国々で、
「あのような落ちぶれた老人は放っておけ」
「早々に追い出せ」
という対応をされたことがありました。その時、誰がこの老人が、近い将来歴史に名を残すほどの君主になると思ったでしょうか?その時の状況や姿からは未来の成功を予想することはとても難しかったと思います。しかし、その落ちぶれた老人は、歴史にも名を残すほどの偉大な君主になったのです。
もしあなたなら、将来、多くの国を従えるほどの君主が困窮して家に来た時に冷たくあしらうでしょうか?絶対にあしらいませんよね。自分の未来のためにも手厚くもてなしますよね。
落ちぶれた人が成長することは比較的確率が高いです。そして、将来は読めません。だからこそ、どんな客人がきても盛大にもてなし、未来に対しての大きな投資にしていきましょう。
出典
この内容は、「横山光輝(よこやまみつてる)」さんの、「史記(しき)」で書かれている内容です。
史記?中国の歴史所でしょ?なんか古臭くて、お固くて、現代人には必要ないね。時代遅れ。なんて思わないでください。
絵はシンプルで、とにかく読みやすくて、人間模様がありありと書かれています。
内容は、人が死ぬときは死ぬ、陰謀が成功するときは成功する、才能ある人も時代の流れにあわなければ滅びる、時代の流れに合えば悪いやつも成功する。そんな歴史上の事実がそのまま描かれています。
脚色されすぎたり、大人の都合で大幅カットされているわけではないので、学びも多いです。
この諺の内容はたったの数ページ(全体の0.05%)。また、記事は厳密さよりも、「わかりやすく興味を持てること」を重視しているため、もっと詳しくしりたい!と思った人はぜひ手にとってみることをお勧めします。
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