「LGWAN」「ガバメントクラウド」「ネットワークの三層分離」——。
ニュースやビジネスの現場で、あるいはマイナンバーカード関連の話題などで、こうしたIT用語を耳にする機会が増えました。
しかし、「なんとなく行政のシステムの話だということは分かるけれど、具体的に何が違うのか、なぜそんなに複雑なのか分からない」と感じている方は多いのではないでしょうか。
日本の行政インフラは今、数十年に一度の大改革期を迎えています。
これまで各自治体がバラバラに構築していたシステムを統一し、クラウドを活用して一気に近代化しようという動きが進んでいます。
この記事では、初心者の方に向けて、専門用語「日常の例え」を交えながらわかりやすく解説します。
これを最後まで読めば、行政ネットワークの仕組み、セキュリティモデル(α、β、γなど)の違い、そして私たちの税金がどのようなITインフラに使われ、生活がどう便利になっていくのか、その全貌がスッキリと理解できるはずです。
なぜ行政には「特別なネットワーク」が必要なのか?
私たちが毎日使っているスマートフォンやパソコンは、インターネットという世界中に開かれたネットワークに接続されています。調べものをしたり、動画を見たりするには最高に便利な環境ですが、「絶対に外部に漏れてはいけない情報」を扱うには非常に危険な場所でもあります。
行政機関(市役所や都道府県庁、中央省庁)が扱っている情報は、私たちの生活の根幹に関わるものばかりです。
- 住民基本台帳(戸籍・氏名・住所などの情報)
- 税金や年金の納付記録
- 生活保護や福祉サービスなどのプライバシーに関わる記録
- マイナンバー(個人番号)
もし、市役所の職員が業務で使っているパソコンが、私たちが使うインターネットにそのまま繋がっていたらどうなるでしょうか。
職員がうっかり不審なメールの添付ファイルを開いてウイルスに感染しただけで、何十万人という市民の個人情報が世界中に流出したり、ランサムウェア(身代金要求型ウイルス)によって行政機能が完全にストップしてしまったりする危険があります。
2015年「日本年金機構の個人情報流出事件」という大きな転換点
日本の行政ネットワークの歴史を語る上で避けて通れないのが、2015年に発生した日本年金機構での大規模な情報流出事件です。
職員のパソコンが標的型攻撃メール(巧妙に偽装されたウイルス入りメール)を開封してしまったことにより、約125万件もの個人情報が流出しました。
この事件を重く見た国(総務省)は、全国の自治体に対して「インターネットの危険な世界から、行政の大切な情報を完全に隔離しなさい」という方針を打ち出しました。
これが、後述する「三層分離(三層の対策)」と呼ばれる強固なセキュリティ対策の始まりです。
行政のネットワークは、「便利に繋ぐこと」よりも「何があっても市民のデータを守り抜くこと」を最優先に設計され進化してきました。
この大前提を頭の片隅に置いて、具体的なネットワークの仕組みを見ていきましょう。
LGWAN(総合行政ネットワーク)とは?〜行政を繋ぐ安全な専用道路〜
ニュース等で最もよく耳にする用語の一つが「LGWAN(エルジーワン)」です。
正式名称を Local Government Wide Area Network(地方公共団体組織内ネットワーク)と言います。
LGWANの仕組み:インターネットという「公道」に対する「専用の地下トンネル」
LGWANを分かりやすく例えるなら、「行政機関だけが通行できる専用の地下トンネル(専用道路)」です。
私たちが使うインターネットを、誰でも自由に走れる「一般の公道」だとします。公道はどこにでも行けて便利ですが、悪い人(ハッカー)もウロウロしています。
一方のLGWANは、市役所、都道府県庁、国の機関など、あらかじめ決められた「行政の建物」同士だけを繋いでいる地下トンネルです。
このトンネルは一般の公道(インターネット)とは物理的・論理的に完全に切り離されており、一般人は入口を見つけることすらできません。
1997年頃から構想が始まり、現在は地方公共団体情報システム機構(JLIS)という組織が運営しています。
LGWANの役割とメリット
- 安全なデータ通信
A市の役所からB県の県庁へ、機密性の高いデータを送信する際、インターネットを経由せずLGWANを通ることで、盗聴やサイバー攻撃を防ぎます。 - LGWAN-ASPの利用
LGWANという安全なトンネルの中だけで利用できる、行政専用のアプリストアのような仕組み(LGWAN-ASP)があります。
自治体は、安全性が担保された業務用のソフトウェアやクラウドサービスをここから利用できます。
LGWANのデメリット・課題
非常に安全な反面、「閉ざされた空間ゆえの不便さ」が長年の課題となっていました。
例えば、民間企業で当たり前に使われている便利なクラウドサービス(Zoom、Slack、Microsoft 365など)はインターネット上に存在するため、LGWANの閉鎖空間からは直接利用できません。
そのため、行政のデジタル化(自治体DX)や業務効率化が、民間企業に比べて遅れがちになるという壁を生んでしまいました。
庁内ネットワークの「三層分離(三層の対策)」とは?
LGWANが「自治体同士を繋ぐ外の道路」だとすれば、次は「市役所の建物の中(庁内)のネットワークはどうなっているのか?」というお話です。
先述した2015年の事件を教訓に、総務省は全国の自治体に対し、庁内のネットワークを情報の重要度に合わせて「3つの部屋(層)」に完全に分割するよう指示しました。これを「三層分離」(または三層の対策、強靱化モデル)と呼びます。
市役所の中には、見えない壁で区切られた以下の3つのネットワークが存在します。
1. マイナンバー利用事務系(もっとも厳重な金庫室)
住民基本台帳(氏名・住所など)、税金、年金、選挙、生活保護など、個人のプライバシーの核心に関わるデータを扱います。
外部のインターネットはもちろん、庁内の他のネットワークからも完全に隔離されています。
原則として、この部屋からは外部への通信は一切できません。フロアの限られた職員だけが、専用の端末でアクセスします。
2. LGWAN接続系(通常の業務を行う執務室)
人事、給与、財務、文書管理など、一般的な行政事務全般で使います。
他の自治体と連携するために、前述の「LGWAN」に接続されているネットワークです。
多くの自治体職員は、日常的にこのネットワーク上のパソコンを使って仕事をしています。インターネットのウェブサイトを自由に見ることはできません。
3. インターネット接続系(外部とやり取りする応接室)
外部ウェブサイトの閲覧、市民からの問い合わせメールの送受信、広報活動などをするネットワークです。
一般のインターネットと繋がっている唯一のネットワークです。
ウイルス感染のリスクが最も高いため、ここには重要な住民情報は一切保存してはいけない決まりになっています。
三層分離のジレンマ:安全性と引き換えに失われた「利便性」
この三層分離を導入したことで、自治体の情報漏洩インシデントは劇的に減少しました。しかし、現場の職員には強烈な業務負担がのしかかることになりました。
例えば、インターネット系に届いたメールの添付ファイル(市民からの申請書など)を、業務を行うLGWAN系のパソコンで開きたい場合、そのまま送ることはできません。
一度「無害化装置(サニタイズ)」という特殊なシステムを通してウイルスを除去するか、専用のUSBメモリを使って手作業でデータを移す、あるいは紙に印刷して再度手入力するといった途方もない手間が発生したのです。
また、職員のデスクには「インターネット用」と「LGWAN用」の2台のパソコンが並ぶことになり、コストも作業スペースも圧迫されました。
α・β・γ(アルファ・ベータ・ガンマ)の違いとは?〜進化するセキュリティモデル〜
強固すぎる三層分離による「利便性の低下」と、コロナ禍における「テレワークへの対応(家からLGWANに繋げない)」、そして「便利なクラウドサービスを使いたい」という現場の悲鳴を受け、総務省はセキュリティモデルの緩和・見直しを行いました。
ここで登場するのが、α(アルファ)、β(ベータ)、γ(ガンマ)といったモデルの名称です。
これらは「三層分離をベースに、どこまで柔軟な構成を許容するか」というバリエーションの違いです。
α(アルファ)モデル:堅守防衛の「従来型」
先ほど解説した「厳格な三層分離」の基本形です。
業務の中心は「LGWAN接続系」に置かれます。インターネットを使う際は、画面だけを転送する仕組み(VDIなど)を使って安全を確保します。
全国の自治体の8割以上が、今でもこの安全性を最優先したαモデルを採用しています。
しかし、テレワークがしにくく、最新のクラウドサービスが使えないという不満が溜まっています。
α’(アルファダッシュ)モデル:現実的な「抜け道」
αモデルを維持しつつ、「国が認めた安全なクラウドサービスだけは、LGWANからインターネットへ直接繋いでもいいよ」という構成です(ローカルブレイクアウトと呼びます)。
Microsoft 365やZoom、Boxなど、業務に必須のクラウドツールをLGWANのパソコンから直接使えるようにします。
インフラを大幅に変えずに利便性を上げられるため、現在多くの自治体がこの「α’モデル」への移行を検討・実施しています。
β(ベータ)モデル:働き方改革に対応
業務端末の多くを「インターネット接続系」に移動させる大胆な構成です。
LGWAN系の業務システムは残しますが、職員のパソコン自体はインターネットに繋がる環境に置きます。そこから仮想デスクトップなどでLGWANのシステムを操作します。
インターネット環境が基本となるため、自宅からのテレワークが圧倒的にやりやすくなります。
インターネット側に業務パソコンがあるため、高度なセキュリティ対策(常に端末を監視する仕組みなど)が必要になり、莫大な導入・運用コストがかかります。
β’(ベータダッシュ)モデル:さらに利便性を追求
βモデルをさらに進め、人事給与や文書管理といった業務システム自体も「インターネット接続系(パブリッククラウド)」に移動させてしまう構成です。
マイナンバー利用事務系だけは厳重に守りつつ、それ以外の業務は民間企業に近い環境で効率よく行えるようになります。ただし、βモデル以上に高度なセキュリティ監査と多額のコストが求められるため、導入できているのは予算に余裕のある一部の巨大自治体などに限られています。
γ(ガンマ)モデル・ゼロトラストアーキテクチャ:次世代の最終形態
デジタル庁が将来像(2030年頃)として掲げている、これからの行政ネットワークの究極の形です。「三層分離(境界防御)」という考え方自体を捨て去るモデルです。
これまでは「内側のネットワークは安全、外側(ネット)は危険」という前提で壁を作っていました。
ですが、γモデルでは「内側であっても誰も信用しない(Zero Trust:ゼロトラスト)」という考え方をとります。
ネットワークを分けるのではなく、「アクセスしてきた職員の本人確認(多要素認証)」「パソコンにウイルスが入っていないかのリアルタイム監視(EDR)」などを極限まで高めることで、どこからでも、一つのネットワークで安全にすべての業務を行えるようにする理想の形です。
ガバメントクラウドとは?〜国と地方で共有する巨大なデジタル基盤〜
LGWANやα・βモデルが「ネットワーク(通信)」の話だとすれば、「ガバメントクラウド(Government Cloud)」は「サーバー(データを置いて計算する場所)」の話です。
ガバメントクラウド登場の背景:「2025年の崖」と「ベンダーロックイン」
これまで、全国約1,700の自治体は、住民票の管理システムや税金の計算システムを、それぞれ独自のIT企業(ベンダー)に依頼して、市役所のサーバールーム(オンプレミス)に構築していました。
これには致命的な問題がありました。
- 国の法律(税率や給付金の仕組み)が変わるたびに、1,700の自治体がそれぞれ数千万〜数億円かけて別々にシステムを改修しなければならない。
- 特定の業者に依存しすぎて、他社に乗り換えられない(ベンダーロックイン)。
これを解決するために国(デジタル庁)が打ち出したのが、「国と地方のシステムを、統一されたクラウド基盤に乗せよう」という壮大なプロジェクトです。
ガバメントクラウドの仕組み
ガバメントクラウドとは、国が一からサーバーを作るわけではありません。Amazon Web Services (AWS)、Google Cloud、Microsoft Azure、Oracle Cloud、そして国内のさくらインターネットといった、世界最高水準の民間クラウドサービスを、国が厳しいセキュリティ基準で審査し、「行政共通の基盤」として認定したものです。
今まで各自治体が「自分の家の庭に井戸を掘って浄水器をつけていた(自前サーバー)」のをやめて、国が用意した「巨大で超安全な最先端の浄水場(ガバメントクラウド)」から水道管を引いてみんなで水(システム)を共有しよう、という取り組みです。
「基幹業務20業務の標準化」との関係
ガバメントクラウドへの移行とセットで進められているのが「標準化」です。
住民基本台帳、地方税、生活保護、児童手当など、行政の根幹をなす「20の業務」について、国が「この仕様で作ってください」という統一ルールを定めました。
全国の自治体は、2025年度〜2026年度を目標に、このルールに沿って作られたシステムをガバメントクラウド上で利用するように移行作業を急ピッチで進めています。
これにより、法改正があってもクラウド上で一斉にシステムがアップデートされるため、自治体のシステム運用コストが劇的に下がり、職員はより市民サービス(企画や相談業務)に時間を割けるようになります。
さらに知っておきたい!関連する重要ネットワークと用語
行政のIT環境を理解する上で、LGWANやガバメントクラウド以外にも知っておくべき用語を補足します。
住基ネット(住民基本台帳ネットワークシステム)
私たちの住民票データ(氏名、生年月日、性別、住所)とマイナンバーを結びつけ、全国共通のネットワークで確認できるようにしたシステム。パスポートの申請や、引っ越し時の転出・転入手続きの簡略化など、行政サービスの最も深い根幹を支えています。
マイナンバー利用事務系という最も厳重なネットワークの中に存在します。
eLTAX(エルタックス:地方税ポータルシステム)
地方税の手続きをインターネットを通じて電子的に行うためのシステム。
企業が従業員の住民税を一括で申告したり、個人がスマートフォンから税金を納付したりする裏側で動いています。
税という極めて機密性の高い情報を扱うため、インターネットからの情報をLGWAN内の税務システムに安全に橋渡しする特別な通信ルートが確保されています。
自治体情報セキュリティクラウド
三層分離において「インターネット接続系」を安全に運用するための仕組みです。
各市町村がバラバラにインターネットと接続するのではなく、都道府県単位でインターネットの出入り口を一つに集約し、そこに高性能なファイアウォールやウイルス監視システムを設置する仕組みです。
市町村の予算格差によるセキュリティレベルの低下を防ぐ役割を果たしています。現在はさらに機能を強化した「次期自治体情報セキュリティクラウド」への移行が進んでいます。
無害化通信(サニタイズ)
インターネットから届いたメールやファイルを、安全なLGWAN側に持ち込む技術です。
ファイルの中に埋め込まれた不正なプログラム(マクロなど)を自動的に削除したり、PDFなどの安全な画像データに変換したりしてから庁内に取り込むことで、ウイルスの侵入を水際で防ぎます。
最新動向(2026年現在)とこれからの行政DX
現在(2026年)、行政のネットワーク環境は法制度の面でも技術の面でも大きなターニングポイントを迎えています。
地方自治法改正とサイバーセキュリティの義務化
2024年に成立し、適用が開始されている改正地方自治法では、自治体のデジタル化に関するルールが大幅にアップデートされました。
注目すべきは、2026年4月までにすべての自治体に「サイバーセキュリティ基本方針」の策定と公表が義務付けられたことです。
これにより、自治体は「予算がないから」という理由でセキュリティ対策を怠ることが許されなくなり、多要素認証の導入や、高度な監視体制(EDR・XDRなど)の整備が法的義務として進められています。
「ゼロトラスト」への道程と市民生活の変化
これまで見てきたように、行政のシステムは「αモデル」というガチガチの要塞から、「α’モデル」で少し窓を開け、ゆくゆくは境界線をなくす「γモデル(ゼロトラスト)」へと進化しようとしています。
そして、これらすべての裏側のシステム改革は、私たち市民の生活に直結しています。
ガバメントクラウドの標準化やネットワークの近代化が完了すれば、以下のような未来が当たり前になります。
- 書かない窓口の普及
市役所に行っても、申請書を手書きする必要がなくなり、職員の持つタブレットで本人確認するだけであらゆる手続きが完了する。 - スマホ市役所
引っ越し、子育て、介護などの手続きが、マイナポータルを通じて24時間365日、スマートフォンからワンストップで完結する。 - プッシュ型支援
困窮している家庭や、給付金の対象者に対して、行政側から「あなたはこの支援を受けられますよ」と自動的にお知らせが届く。
まとめ
本記事では、複雑な行政のネットワークインフラについて解説しました。
- LGWANは、自治体を安全に繋ぐ「専用の地下トンネル」。
- 三層分離(α・βモデルなど)は、情報を守りつつ働き方を改革するための「庁舎内のゾーニングと見直し」。
- ガバメントクラウドは、国と地方が共同でシステムを動かす「共通の巨大サーバー基盤」。
これらの用語は単なるIT技術の話題にとどまりません。
「市民の財産やプライバシーを悪意ある攻撃から徹底的に守ること」と、「少子高齢化で職員が減る中でも、市民に便利で寄り添う行政サービスを提供すること」。
この一見矛盾する2つのミッションを同時に達成するために、何千人もの技術者や行政関係者が日々アップデートを続けている結晶なのです。
今後、お住まいの自治体で新しいデジタルサービスが始まったときには、「この裏側には、強固なLGWANやガバメントクラウドが動いているんだな」と想像してみてください。行政DXへの理解が、より一層深まるはずです。

