2010年以降ミニマリストという言葉が浸透してきています。
その背景はIT革命や東日本大震災などの時代の変化とともに、多くの人が「モノをたくさん持っていることが」幸せではななく、永遠に満たされない不幸せや、生き延びるリスクであると気付いたことです。
そして幸せの形が「モノたくさん持っていることが幸せ」から「大切なものだけに囲まれている方が幸せ」へと変化したためです。
ですが、そもそも人はなぜこんなにもモノをため込んでしまうのでしょうか?そこには、人が本来持っている性質が大きく関係しています。
ここでは、ミニマリストになる前段階として、人がモノを次から次へと欲しがってしまうメカニズムについて解説しています。
ミニマリストになるための考え方を身に付けるには、まず「人がなぜモノを次から次へと欲しがるのか」というメカニズムを知っておく必要があります。
モノを欲しくなってしまう理由は4つあります。
人は同じことをずっとしていれば慣れて飽きてしまう生き物です。
「楽しい!」「面白い!」「カワイイ!」「かっこいい!」などの刺激があると「もっと欲しい」と感じるようにできています。
そして、足される刺激が同じだけ効果があるかというとそうではありません。足せば足すほど満足するためにより強い刺激が必要になってきます。
刺激の強さは行動やモノによって決まるのではなく刺激の差で決まります。
刺激が何もない状態から60の刺激があれば、+60興奮します。
ですが、刺激が既に50ある状態から60の刺激を受けても、+10しか興奮しません。
刺激を足していく場合と同様に、刺激を減らす行動は引き算で表せます。
もともと60あった刺激が、0になれば-60となり足りないと感じます。
テレビの音量をとても小さくかけているときの刺激が+10だとして、それを家族の誰かが消したとき刺激は0になります。差の-10を感知して起きる人がいます。
このため、モノを次から次に買えば買うほど刺激がどんどん弱まっていきます。
初めてお気に入りのブランドのカバンを買ったときの刺激を50、次にそれよりもちょっといいカバンを買ったときの刺激を60とすると、2回目で得られる刺激は10だけです。最初の興奮よりもかなり少なくなります。
ブランドのバッグを何個も持っていたり、お金持ちに車を何台も所有している人がいますが、モノの数だけ刺激を得られているわけではありません。
むしろ、次に刺激をえるためのハードルがどんどんと高くなり、満足できないつまらない日々を送ることになってしまいます。
満足や幸福感を得るにはモノを次から次に買ってはいけません。
本当に欲しい!と思うものを欲しいタイミングで買う事が重要です。これが、最も満足と幸福感を味わうための方法です。
そして不要になったら手放す。こうすることで、次に買ったときに同じだけの満足と幸福を得る準備ができます。
つまり、たくさんモノを浪費家の方が刺激は少なく、ミニマリストの方が満足と幸福を味わっています。
もちろんそればバックや車などのモノだけではありません。「いいね」の数、フォロワーの数、資格の数も同じです。
多くの人がしている勘違いに、モノの値段と刺激が比例するという考え方があります。高いものを買えば買うほど幸せになれるという考え方です。
ですが、この考え方はメディアや広告によって印象操作された間違ったイメージ(洗脳)です。
例えば、2,000万円の超高級車ランボルギーニを買ったときと、最高級軽自動車のNboxカスタムを200万円で買ったときに、ランボルギーニを買った人が10倍の刺激があり幸せになれるかというとそうではありません。
車だけに限りません、洋服、靴、PC、家、食品なども同じです。次のように考えている人はかなり危険です。
幸せを求めて間違った人生を歩んでしまいます。永遠に幸せにたどり着くことはありません。
安いものをバカにして、高いものを崇拝する人がいますが、その考え方は間違っています。
例えば日本でユニクロの下着はとても安く買えます。「安物なので」旅行に行くときにたくさん買って行って、汚れたら捨てればいいという感覚の人もいます。
ですが、海外にいくとユニクロは高級洋服店です。関税がかかるので普通に出回っている下着の2倍ほどの値段がします。
「ユニクロの下着で安物だからすぐに捨てる」と言えば「何を言っているんだ!?そんな高いものをもったいない」という反応になります。
つまり、「安い=質が低く、価値がない」や「高い=高級・丈夫で長持ち・価値がある」ではありません。
国内も同じです。同じ価格の車でも本当にいい材料を使っているから高い場合と、材料は安くても従業員の給料が高かったり広告宣伝費に大金をつぎ込んでいるから高い場合があります。
刺激や満足、幸せを感じるために絶対にやってはいけない行為があります。それは他人と比較することです。
「私は軽自動車なのに、あいつはポルシェに乗っている」
「あの人の方が10倍高いカバンを持っている」
そして、「私も同じものを手に入れれば幸せになれる!」と考えてしまうことです。この考え方は完全に間違った思考に基いています。
その証明は自分と下の人と比較して満足できるかを想像すればわかります。
「私は軽自動車なのに、あいつはポルシェに乗っている」 という人が、自分より下の「自動車を持っていない人」と比較して私は満足だと、仮にポルシェを買ったのを想像したときと同じくらい刺激を感じられるでしょうか?
「ああ、私は満足だ」と心から言える状態でしょうか?むしろ「あんな奴よりは私の方が上」という心がとても貧しい状態になっていることがほとんどです。
つまり、本来自分が感じる「満足」や「幸せ」とは、他の人と比較して増えたり下がったりするものではありません。
他者が持っているものとの差ではなく、自分の中の刺激の差によって決まります。
「前はこうだった、でも今はこうだ」と自分の中で過去の自分と比較したときの伸びが刺激となり満足感になります。
他者と比較している人は永遠に幸せや満足感を得ることができません。
ものをたくさん持ち、高価なものに囲まれていても満足できない、他者と比較していてる限り幸せになれないことは、事例を想像すればわかることです。
それでもメディアのイメージに簡単に洗脳されてしまう理由の一つに、「人は未来の自分の感情を上手く予測できない(忘れる)」という特性があります。
人が未来の自分の感情予測が苦手なわかりやすい例はお酒です。例えば飲み会の後にひどい二日酔いになって「もうお酒は飲まない!」と考えたとします。
ですが、数日もすればそのことを忘れてまたお酒を飲んでしまいます。
「お酒を飲めば寝つきが悪くなり、睡眠の質が下がり、二日酔いになって気持ち悪く、仕事のパフォーマンスも下がる」後悔して嫌な感情になることは明白なのに、その感情を予測できなくなってしまいます。
寒い日も同じです。「今日は寒いからコート着てった方がいいよ」と言われて「いや、大丈夫」と言って出かけていき「コートを持ってくればよかった」と後悔する。
「今日は雨が降りそうだから傘持ってった方がいいよ」と言われて「いや、大丈夫」 と言って出かけていき「傘を持ってくればよかった」と後悔する。
「あー買って失敗したな」「無くてもよかったな」「次回は買わないでおこう」と心に決めて、それから数か月後に全く同じ思いになった人がほとんどです。
人にとって「忘れる」ことは生きていく上でとても重要な機能ですが、ミニマリストになる障害になり、次から次にモノを買ってしまう原因にもなっています。
極めつけは、人は自分自身の価値を、自分が所有している身の回りのモノで表現できると思い込んでいます。
ベンツの車に乗っていれば、自分がベンツと同じだけの価値があるように感じます。ですが、もちろんあなたはベンツではありません。
全身をヴィトンで固めれば、自分がヴィトンと同じだけの価値があるように感じます。ですが、もちろんあなたはヴィトンではありません。
何百万する時計や宝石を身に付けて、超高級スーツやドレスを身にまとっていれば、その価格の分だけ自分の価値が上がったと考えます。
高級なモノ以外にも、本も同じです。本棚に知性溢れる本が並んでいれば、自分の知性が高くなったように感じます。本棚を見せつけて「私ってこれだけ賢いんだよ」アピールをしたくなります。ですが、もちろん、本棚の本の数や種類=あなたの知性ではありません。
図書館で働いたり暮らしている人が知性の塊かと言われれば決してそうではありません。
偉大な成功者や優秀な東大生が使っていたペンやノートを使えば、あなたが賢くなるわけではありません。
ジョーダンの靴を履けば、あなたにジョーダンと同じ運動能力が宿るわけではありません。
ですが、価格がついているのは時計や宝石、知性がつまっているのは本であって、あなた自身の価値が上がったわけではありません。
私たちは暮らしてきた環境の中で、人の性質を上手く利用したメディアやCM、そして、その影響を受けた友達、親などに影響されて、人の本質とは異なった思考に陥っています。
「モノが増えれば増えるほど幸せになれる」
「あの人と同じくらい高級なモノを身に付ければ、私もあの人と同じだけ幸せになれる」
「価値あるものを身に付けている私の価値はその分だけ高い」
と勘違いしています。これは決してあなたが悪いわけではありません。現代の環境で育てば自然とそうった考え方を持つのは普通です。
ただ、それが幻想で永遠に幸せになることができないとわかった今、ミニマリストへと変わるためには、自分がそういった考え方をしていることに気付く必要があります。
自分の現状を素直に受け入れることができた人は、新たな未来への一歩を踏み出せた人です。