世間では改革には痛みがつきものだということが言われています。
業績が悪化した企業が改革するときに、事業を終わらせたり、人を切り捨てたり、給料を下げたり、カオスな状態が続いたり、業務量が急増したりといったことが改革に伴う痛みとされています。
ですが、それは本当に必要な痛みでしょうか?
ここでは、改革に伴う痛みについてまとめています。
そもそも改革は何のために行うものでしょうか?
それは、現在の悪しき状況を切り抜けて、未来に向かうための成長です。現状維持のままだとじり貧になることがわかっているときに、改革が行われます。
この成長に伴う痛みこそが、改革に必要な痛みです。
ところが世間では間違った改革に伴う痛みが蔓延しています。
それは、改革を行ったのにも関わらず状況が改善しないというものです。「改革」という名目で、邪魔な事業や邪魔な人材を切り落として当面のお金を確保しただけで、組織の中身は何一つ変わっていないというパターンです。
事業を担当していた人は大きな痛みをともないます。リストラされた人たちも大きな痛みをともないます。ですが、その痛みの割に何も改善しないのです。
むしろ痛かったのは直接的な被害を被った人たちだけで、上の方にいる人たちはただ楽してお金を設けただけです。
つまり、上にいる人たちが自分たちの利益を正当化するために「改革は痛みを伴う」と言っているパターンです。
成長のための改革に伴う痛みで、痛みが伴うのは、金銭的なものや体力的なものではありません。なぜならそれはじり貧になり始めた時点ですでに感じているものだからです。
本当の改革に伴う痛みは「精神的な痛み」です。
これまで自分たちが愛着を持って育ててきたもの、時間とお金をかけて育ててきたものを、過去のものとして捨て去る時に発生する痛みです。
役目を十分に果たしたにも関わらず、過去になりきっていなかったものに「サヨナラ」を告げて、本当に過去にする。
それこそが本当に成長するために伴う痛みです。その痛みを乗り越えた先に変化と成長が待っています。
それは、失恋した人が、失恋を過去のものにして、また未来に向かって歩き出そうとする行為に似ています。
北海道の中央に位置する富良野市はまさに痛みを伴う改革を行っている地域です。
富良野市のもともとの産業はラベンダー栽培でした。しかし、ラベンダーの栽培だけでは財政状況が厳しくなっていく事態に直面し、観光業への改革を行い見事成功させました。
その時に伴った痛みが、これまで長年培ってきたラベンダー栽培を過去のものとするという精神的な痛みです。
観光業を推し進め、現代では町中に英語、フランス語、中国語の看板があります。そして学校にも国際色豊かな色が出始めています。
しかし、富良野市の財政状況はまだまだ健全とはいえません。北海道の他の都市が直面している状況と同じく、観光業だけでは厳しい状況です。
人口減少が続く日本において、農業や観光は高価格、高付加価値で勝負する以外に道がないことを理解しており、学校の授業で札幌に先駆けて新たな取り組みを行うなど、様々なチャレンジをしています。
それらは、すぐ直近に効果を発揮するものではなく、20年、30年先の富良野の産業を担っていく人材を育てる取り組みです。