言葉は人生に影響を与える。「自分ならできる」「なんとかなる」「なんとかしてみせる」といったように人生に可能性を与え成功をもたらす言葉があるように、絶対に口に出すべきでない言葉がある。
絶対に口にしてはいけない言葉とは、自分に限界を設け枠にはめてしまう言葉のことである。
重要でないことを重要だと勘違いしてしまったり、やりたいと思っていることをやらずに済ませてしまう言葉など、自分を制限してしまう。
絶対に口にすべき言葉でも、「できない」と言ったように分かりやすい言葉もあるが、「~する必要がある」といったように普段何気なく使っている言葉もそこに含まれる。
判断基準は曖昧な言葉かどうかで。その理由は、責任回避につながってしまうからだ。
ここでは、絶対に口にしてはいけない、以下の4つの頻出語について解説する。
この4つの言葉は、コストをもたらし、人生や会社の生産性を下げる。なぜそうなるのかや具体的な理由を知り、納得して、明快な言葉に変えることが望ましい。明快な言葉は、明快な行動と結果につながる。
「できない」という言葉は、どんなときでも100%のウソである。これほど破壊的な言葉は多くない。
「できない」は「何かをやり遂げる方法は絶対に存在しない」を意味することになり、可能性をすべて押しつぶしてしまうことになる。
しかし、実際のところ「できない」と言っている人の意味は、そういった意味ではなく、次の5つの意味に分類される。
実際には、問題解決のための想像性と適切な解決手段がありさえすれば、できないことなどない。
できる方法を考えることに、時間と労力をかける価値があるかもしれないし、ないかもしれない。そもそもやる価値のない馬鹿げたことかもしれない。だが、不可能ではない。
仮に、「できない」理由を上記のいずれかに分類し話していたとしても、無意識の脳には、その文脈として理解することが難しく、「不可能」という意味で届いてしまう。
この、話者と脳の「できない」の理解のズレは混乱とストレスを生じる。
大切なのは、意識している脳と無意識の脳で明確に同じ意味を持つ言葉を使うことだ。そうすれば、心が矛盾でざわつき、余計なストレスを抱くことがない。
もちろん、これは話している人だけでなく、聞いている人にも同じ効果を及ぼす。
「できない」は常にウソだと考える習慣を身につけておけば、脳が別の方法で問題を解決しようとしてくれる。
「〇〇する必要がある」は、ささいなことを重要だと勘違いさせてしまう言葉である。
親が子供によく「~する必要があると言う」。「出かける必要がある」だから、「上着を着る必要がある」といった感じだ。
ただし、実際のところは出かける必要も、上着を着る必要もない。親が出かけたいだけ、上着がなければ寒いというだけのこと。
本来は、「あったらいい」程度のことなのに、それが「必要がある」という言葉で伝えられると、絶対にやらなければいけないという間違った意味で捉えかねない。
意識的な脳はそのことを理解できるが、脳の深いところにある無意識の脳は、「なければならない」と勘違いしてしまう。
「あれが必要」「これが必要」という言葉は頻繁に耳にするが、ほとんど必要ではない。なくてもなんとかなることである。
必要という言葉を言い過ぎると、「それなしではできない」ことが増えて、どんどん軟弱になっていく。
厳密に必要なものは少ししかない。しかも、今すぐに必要というものはほぼないといえる。
これら以外のことは、「あったほうがいい」という欲求であって、「必要」ではない。
「必要」という言葉は100%真実のときにだけ使うようにする。そうでない場合は、真実を正しく表現する言葉に言い換える必要がある。例えば、「~がほしい」「~することを選ぶ」など。
特に、会社を引っ張るリーダーは言葉を明瞭に区別する必要がある。組織というものは、本物の脅威と脅威になりうるものを区別することが苦手だからだ。
社長が「~をする必要がある」と言うと、それを聞いた社員が「できなければ倒産する」(絶対になければならない)という間違った解釈をすれば、恐怖におののき、身体的ストレスでパフォーマンスが下がり、適切な思考すらできなくなってしまう。
もしくは、何が何でも絶対にやらなければいけないと解釈してしまうと、暴走して突っ走ってしまう可能性がある。本当は他にいくつも手段や解決策があるにも関わらず、思考に柔軟性がなくなってしまう。
そして、「必要」を連発すれば、その言葉は聞き慣れた真実でない言葉となり、本当に緊急なときでも、その重要度を理解できず、「またか」程度の認識になってしまうリスクがある。
逆に、「~する必要がある」をより実際の程度を表す具体的な言葉に変えれば、社員のパフォーマンスを上げることができる。
例えば、「~する必要がある」を「これは重大なミッションだ。みんなで力を合わせてやり遂げよう」「君たちのために、僕が取り除ける障害物はないか?」「僕が力になれることは何かあるかな?」という言葉を使えば、時間のない切迫した状況の中でも、様々なアイディアを出し合って対策を練ることができる。
「~が必要」と言うのを本当に緊急でやらなければいけない時のみする。そして、「~が欲しい」「~があったほうがいい」「~したほうがいい」に置き換える。
「悪い」は解決の可能性を閉ざしてしまう言葉である。
「悪い」という人がいるが、それは、あなたが下した価値判断であり、本当に「悪い」ことはほとんどない。
「悪い」という言葉がなぜいけないかと言うと、それを聞いた自分の脳や他人が、不運のように感じて心理的にも身体的にも身構えてしまうためである。
「悪い」が使われたとき、「好きではない」「望んでいるものではない」といった意味であることがほとんどだ。
例えば、「出かけた途端に雨が降ってきた、運が悪い」と言った場合、傘を取りに家に帰ればいいだけの話しだ。もしくは、事前に天気予報をチェックしておけばいいだけのことである。
「悪い」は食べ物に関してもよく使われることが多い。しかし、何が良くて何が悪いかや、どのくらいの分量を食べるかなどはその人によるところも多々あるので、一概に「良い」「悪い」という評価はできない。
絶対に悪影響を及ぼすことがわかっている、ベーコンやハム、ジャンクフードも飢え死にするよりはマシだ。
この世界は自然に「良い」「悪い」のどちらかに分類できるものではない。それなのに、日常生活で見にすることや耳にすることを「良い」か「悪い」かというフィルターを通して見てしまうと、適切でない軋轢が生じて、白か黒かといった極端な思考法に陥ってしまう。
何かに「悪い」というレッテルを貼ってしまうと、「どうしたらよくなるか」「どうしたら対処できるか」「どうしたら改善できるか」と考える機会を失ってしまう。
「やってみる(試してみる)」という言葉は、「やらないかもしれない」や「やっても失敗するかもしれない」といった、曖昧さや否定的な感情が含まれている。
人と待ち合わせをする時に「行ってみます」と言われたり、何かをお願いしたおきに「やってみます」と言われたらあてにできるだろうか。
その人は、行ってみようとするが、確実にたどり着くとは言っていない。やってみようとするが、確実にやってくれるとは言っていない。来ない可能性やできない可能性も高いだろう。これではその人を信頼することはできない。
そうではなく、「行きます」「やります」と言われれば、来る可能性やできる可能性の方が高い。そして信頼できる。
「〇〇してみよう」と自分に言い聞かせるとき、あなたは、やらない可能性や失敗の可能性を無意識のうちに織り込んでいる。
例え、自分でやる確率の方が高いし、ほぼやる予定だと思ってその言葉を発したとしても、脳は無意識のうちに、やらない選択肢が織り込まれてしまうのだ。
「~する」に言葉を変えることで、自分に逃げる口実を与えず、潜在能力をフルに使って事にあたるように脳に指令を出すことができる。
ただし、なんでもかんでも全てやればいいわけではない。使える脳のリソースは限られているので、やる必要がないことは、はっきりと「NO」ということが重要だ。
自分の能力を制限したり、本当はできることをできなくしてしまう言葉は口にするべきではない。
それは「できない」「必要がある」「悪い」「やってみる」だ。
これらの曖昧な言葉を使った場合は貯金箱に100円を入れるようにするといい。それは、罰金ではなく、そういった言葉がコストを発生させるということを理解するためである。
また、パートナーや同僚などに、こういった言葉を発したら指摘してくれとお願するなど、そのくらい言葉の改善に真剣に取り組めば、生産性を上げより充実した人生に近づくことができる。
ちなみに、考えた上での「NO」はぜひ言うべき言葉。貴重で限られた脳のリソースを浪費しないこと。
アメリカの著名な起業家、実業家、著述家であり、最も影響力のある100人にも選ばれたことのあるデイヴ・アスプリーが書いた「シリコンバレー式超ライフハック」の一部要約と抜粋です。
本書には他にも、人生を豊かにするための興味深い内容がたくさん載っています。興味を持たれた方はぜひ一度手にとってみてはいかがでしょうか?