世の中には「良い人」と「悪い人」がいます。
ですが、人が生まれ持った瞬間に「良い」「悪い」に分類されるわけではありません。「良い行動をする人」と「悪い行動をする人」がいるだけです。
だからこそ、どんな行動をするかが大切です。
あなたのとった行動次第で、あなたは「良い人」にもなりますし「悪い人」にもなります。
しかし、それはあくまで、その瞬間だけを切り取って外から見えるあなたの姿でしかありません。
本当に「良い」と「悪い」を見分けるためにはもう一歩踏み込んで考える必要があります。
例えば、あなたが運転しているときに、道路を渡ろうとしている子供たちを見かけたとします。
あなたは車を止めて、子供たちが道を渡るのを見守ってあげました。これは、外から見れば「良い行動」に違いありません。
ですが、そのときにあなたがどう考えてその行動に至ったかが本当に「良い」と「悪い」を分けます。
AさんとBさんがそれぞれ次のように考えていた場合、どちらが本当に良い人でしょうか?
Aさん:「良い人と思われたいから道を譲る」
Bさん:「自分は十分に恵まれているから、子供たちが道を渡るぐらいの損は引き受けないとバチがあたる」
もちろんBさんです。
このように、どう思ってその行動に至ったかで、その行動の持つ意味(特にあなたにとって)は大きく変わります。
では、具体的に「良い動機」と「悪い動機」を分けているものはなんでしょうか?
それは「自分のため」か「他人のため」かです。
「人から良く見られたい」「酷い人と思われたくない」「自分が得をしたい」と考えている人は自分のことしか考えていません。
自分の利益、自分の時間を優先する人たちです。次のような考え方をしている人たちです。
一方「子供たちを守る」「子供たちに時間をあげる」「子供は優先すべきだ」と考えている人は他人のことを考えています。
同じ一つの行動でも、良い動機と悪い動機を取った場合に重要なポイントが2つあります。
あなたの動機が自分の利益優先であろうが、他人の利益優先であろうが、あなたがした行動に対しての周りからの評価はどちらも変わりません。
「自分が良い人と見られるために子どもに道を譲った人」も「子供の安全を守りたいと思って道を譲った人」も、子供たちや周りの人から見れば親切な人です。
あなたの動機に関わらず、子供たちに道を譲った人になります。
どんな動機で行動したかが最も強く影響するのは、自分の中です。
「良い人だと見られたい」と思って道を譲った人は、自分が良い人だと見られるという報酬を望んでいます。
子供たちから「ありがとうございます」といったお礼やお辞儀、周りの人から「良い人ですね」といった見返りとなる言葉がないと、嫌な気持ちになります。
「こんな行動をして損をした」と思う気持ちが湧いてきます。
つまり、行動の度に苦しさや嫌な気持ちを味わうリスクを抱え込んでいるのと同じです。
モテたいという動機の人が、異性にあれこれと献身して、その結果フラれると「こんなに尽くしたのに」と逆上するのと同じです。
「モテたい」という動機で行動した時点で、1/2の確率で逆上して嫌な思いをする人生を選択したということです。
一方「子供たちの安全を守りたい」「自分は恵まれているから、少しぐらい損をしてもいい」という動機で行動した人は、見返りを求めていません。
行動する時点で自分の時間を捧げる決断をしています。
子供たちから「ありがとうございます」といったお礼やお辞儀、周りの人から「良い人ですね」といった見返りとなる言葉がないからといって、損をした気持ちになりません。
子供たちが道を渡り切った時点で自分の願いは完了しているからです。
自分の願いは満たされているので心の中に残るのは「よかった」という満足感です。
つまり、どれだけ行動をしたとしても、決して嫌な気持ちを味わうことがないのです。
道徳や善行とは、単に「良い行動」だけを指すわけではありません。
「良い動機」から生まれた「良い行動」が道徳や善行になります。
「自分が幸せになるために道徳的な好意をする」という人は、非道徳な人です。
「自分が幸せになるために善行を積む」という人は、善行を積めていない人です。
「これだけ頑張っているのに、これだけ他人のために尽くしているのに、なんで幸せにならないんだ!」と言っている人は、自分のための行動しかしていない人です。
自分のための行動しかしていない人は、どこまでいっても幸せにはなりません。
本当に幸せになりたければ「誰かのために」という思いで行動する以外に方法はありません。
誰かのために行動するには自分の思考パターンを変える必要があります。そのときに効果的な方法には次のようなものがあります。
あなたは「誰を幸せにしたいか?」を突き詰めて考える
現状を「これが自分にとって、ちょうどいい」といって受け入れる。
自分は恵まれていると思える理由をたくさん探す。(例えば、衣食住があるのは当たり前ではないなど)
自分の能力や地位は、自分自身の努力で手に入れたものではなく、両親やこれまで出会った人、環境によって与えてもらったものだと考える。
自分は恵まれているのだから、少しぐらいの損は引き受けなきゃバチがあたる。と考えて、自ら少し損をする行動をする。
時間は自分のために使うものではなく、誰かのために使うものだと考える。
やり方は他にも無数にあるので、自分に合ったやり方を見つけることが大切です。どれが間違っていてどれが正しいというのはありません。
ただ一つ間違いなく正しいと言える真実は、自分のために行動している人は永遠に幸せになれない。他人のために行動する人はずっと幸せとういことです。
あなたが心の底から充実して楽しいと思える人生を歩めることを、心より願っています。