貧乏が好きな人はいません。みな十分なお金やモノがあることを望みます。
ちゃんとした家、車、服がある暮らし。お金に余裕がある暮らし。毎週末は家族で旅行に出かける。海外旅行にだって行きたいでしょう。
ですが、いったいちゃんとした家や車や服とはどの程度のものなのでしょうか?お金に余裕がある暮らしをするにはにはいくら必要なのでしょうか?
多くの人々が「質が良ければ良いほどいい」「多ければ多いほどいい」と考えています。
既に家を持っている人たちは、よりいい家具や電化製品、リフォームやより大きな家を求めて働き続けます。
既にいい給料をもらっている人たちも、より高給を目指して働き続け、昇給や転職の機会を狙っています。
そしてみな口々に叫びます「忙しい」「時間がない」「いつになったら余裕になるのか」「いつになったら幸せになるのか」と。
そんな生き方と真逆の考え方をしている人がいます。それはウルグアイの元大統領 ホセ・ムヒカです。
ここでは、そんなホセ・ムヒカの格言を紹介しています。
そもそも私たちにとって貧乏とはお金や物が充分にないことです。欲しいモノが買えないことです。
ですが、ホセ・ムヒカの考える貧乏は真逆です。
貧乏とは、欲が多すぎて満足できない人のこと。
貧乏とは「足りない」という思考です。「もっともっと」と考えている人は永遠に満足することはありません。どれだけ手に入れても永遠に貧乏のままです。
贅沢とは高給を稼ぎ、大金を所持し、ものに溢れて暮らすことではありません。
ホセ・ムヒカは次のように語ります。
私は、持っているもので贅沢に暮らすことができます。
ホセ・ムヒカが住んでいるのは木に覆われた部屋が3つしかない小さな小屋です。その姿は倒れそうな農場と言われることもあります。
水道が通っておらず、井戸水を引いて生活しています。
愛車はずっと前から乗っている古い車1台だけです。
その代わりホセ・ムヒカにあるのは自分が自由に使える時間です。
畑作業が好きで、自らトラクターを運転して畑を耕したり、妻と野菜を作って過ごす時間を持っています。
友人と過ごす時間も非常に大切にしています。
立派な家もブランドものの洋服も、カッコいい靴も、最先端の家電製品もありません。ですが、それらを持っている人と比べてどちらが贅沢で豊かな暮らしでしょうか?
ホセ・ムヒカの生活を見て「貧乏」「貧しい」と言っている人がいます。
出版された本のタイトルも「世界で一番貧しい」と言う枕言葉が付いています。
これに対して ホセ・ムヒカは次のように語っています。
私は貧乏ではない。質素なだけ。
私のことを貧乏だと言う人たちこそ貧しい。
私の定義では、貧乏人というのは、必要なものが多すぎる人たちのこと。
実際に「質素」と「貧乏」の言葉の定義は次のようになっています。
質素とはただシンプルなだけです。そこに苦しいといった感情はありません。
貧乏とは生活が苦しいことです。
いい家やブランド品に囲まれて、生活できるだけのお金もあるのに「もっと欲しい」と思っている人と、高価なモノを持たず、必要最小限しかないけど「充実している」と感じている人のどちらが苦しいかは明白です。
ホセ・ムヒカは今の社会の仕組みこそが人々を貧乏にさせていると語っています。
人間のもっとも大事なことが「生きる時間」だとしたら、この社会(消費主義社会)は、最も大事なものを奪っています。
自分たちが人間として生きる時間を奪われた結果が貧乏な心につながっています。
私たちは、まるで消費するためだけに生まれてきたかのよう。
それができないと不満を持ち、貧しく、そして自己嫌悪を抱きます。
そして、その社会を敵だとみなしてます。
私は消費主義社会を敵だとみなしています。
この仕組みのせいで私たちは肝心なことを忘れてしまい、人としての能力を人類の幸福とはほとんど関係ないことに無駄使いしています。
もしあなたが「忙しい」「こんなに頑張っているのに全然楽にならない」と感じているのであれば、一度立ち止まって、あなたにとってどういう状態が「貧乏」でどういう状態が「贅沢」かを考えてみてはいかがでしょうか?
スーツケースはいつも軽めで必要なものだけ。
モノを持つことで人生を複雑にするより、私には好きなことができる時間のほうが大切。
ホセ・ムヒカ
この記事の内容は「世界でもっとも貧しい大統領ホセ・ムヒカの言葉」の一部抜粋と要約です。
この本の中には他にも心を揺さぶられる格言が所せましと詰まっています。モノと情報に溢れる世界で幸せを手に入れる道しるべとなります。
興味を持たれた方は是非手に取ってみることをお勧めします。一度きりの人生の中で、このような素晴らしい本に出合えたことに感謝。