多くの人が成功したい・幸せになりたいと願っています。そしてそのために選択肢を増やそうと日夜努力しています。
ですが、選択肢をどれだけ増やしたところで成功や幸せを手にすることはありません。
たくさんの選択肢は迷いを生み、迷いは多量のエネルギーを消費し、体力と精神の疲労をもたらします。疲れにより正常な判断ができなくなり、パフォーマンスが下がり、成功や幸せとは遠い人生を歩むことになります。
成功や幸せな人生を手にするために必要なのはたくさんの選択肢ではなく選び抜く能力です。
ここでは選択に関する人の性質や選び抜く能力について解説しています。
オーストラリアの看護師をしていたブロニー・ウェアは、死を迎える患者たちに最後に後悔していることを聞き、記録し続けました。
その結果、最も多かった答えは「他人の期待に合わせるのではなく、自分に正直に生きる勇気が欲しかった」でした。(参考文献:「死ぬ瞬間の5つの後悔」)
「他人の期待に合わせるのではなく、自分に正直に生きる」とは何かというと、自分の人生の中で何をするかを自分で選びとるということです。
会社や上司から与えられた仕事をするのではなく、テレビやYoutube、SNSで誰かがいいと言っていたことをするのではなく、自分が心からやりたいことを自分で選び取ってやるということです。
「自分に正直に生きるよりも、他人の選んでくれた道を生きて幸せだった」と言う人はいません。
「自分に正直に生き、自分が心からやりたいと思うことを選び抜いた」と言う人に後悔している人はいません。
死ぬ直前に「私は選択肢が多かった」と自慢する人はいません。選択肢が多すぎて選びきれずに後悔する人はたくさんいます。
つまり、人生で重要なのは選択肢の多さではありません。自分が何を選び抜いてきたかです。
世の中には現状に満足していないにも関わらず「仕方がない」「やらなければいけない」と言いながら日々の暮らしを送っている人がたくさんいます。
そういった人たちは自分たちに選ぶ自由があることを忘れています。
親や友達や世間が「良い」「そうあるべき」「理想」とする姿を追い求めるばかりに「あれも、これも」と全てをやろうとしている人ばかりです。
そういう人たちに限って「〇〇しなければいけない」という制限された思い込みの中で生活しています。
ですが、私たちはみなな自由に選択する権利を持っています。
もし「今の仕事をやめてアメリカに行こう」と覚悟を決めれば、誰もがそれをできます。仕事を辞めることもできるし、アメリカに行くこともできます。
「親元を離れたい」と覚悟を決めれば、荷物をまとめて電車や車に乗って遠くに行くだけです。むしろ荷物すら要らないかもしれません。今すぐ飛び出すこともできます。
私たちは一人一人が自分の人生で次に何をするか選択できることを忘れてはいけません。
「選択肢」と「選ぶ能力」は似ているようですが全く異なります。
「選択肢」は外から与えてもらうものです。環境や他人が加えたり減らしたりできるものです。あなた自身がコントロールできるものではありません。
一方「選ぶ能力」とは自分自身が備える能力です。持ち運び可能で常に自分と一緒にあります。
選択肢を奪うことはできても、選ぶ能力を奪うことはできません。
私たちが生きていく上でいつでも私たちの傍にいて人生を助け導いてくれるのは選択肢ではなく、選ぶ能力です。
私たちがやるべきことは選択肢を増やそうと頑張ることではなく、自分に正直に生きるための選ぶ能力を身に付けることです。
私たちには誰もが選ぶ能力を持っています。そしてそれは誰にも奪えないものです。
にも関わらず多くの人が自分に正直な人生ではなく、他人に決められた人生を歩んでいます。なぜなら、その人自身が選ぶ能力を手放してしまっているからです。
選ぶことを自ら手放して「やらなければいけない」と受け入れてきた人たちは、自分たちで選ぶことを忘れてしまっています。
選ぶことを忘れた人は無力感にさいなまれた状態になります。自分の意志がだんだんとなくなっていき、他の誰かがした選択や過去の自分がした選択を黙々と実行するだけになります。
選ぶ能力を手放した人には2パターンあります。
自分で決めることができず他人に決められた人生を歩まなければいけないと思い込んでいる人は無気力になります。
自分で決めることができないから、他人に決めてもらおうとする人は、言われたことを何も考えずに引き受けるので、大事なモノを見失い、どんどんと多忙になっていきます。
人が選ぶ能力を手放してしまうのは、過去にどうしようもできないことを経験が原因になっています。
本来、私たちは生き残る本能を備え、自分たちで選択しどうにか試みる性質を持っています。しかし、自分の力でどうしようもないことを経験すると、後天的に無力でいることを学習してしまうのです。
これを「学習性無力感」といいます。学習性無力感を検証した面白い実験があります。
心理学者のマーティン・セリグマンとスティーブン・マイヤーは犬を使って次のような実験を行いました。
まずは犬を3つのグループに分け、それぞれを異なる環境に置きました。
グループ | 環境 |
---|---|
A | 何もしない。 |
B | 電気ショックを与える。ただし、あるパネルを踏むと電気ショックが止まる。 |
C | 電気ショックを与える。何をしても電気ショックは止めることができない。 |
この環境に置いた後、次に部屋を移動します。
2つ目の部屋は、電気ショックが流れる床と何も流れない安全な床があり、その間を簡単に飛び越えられる柵が置かれています。
これまでに、何もされなかったAグループと、あるパネルを踏むことで電気ショックを止められたBグループは障壁を飛び越えて安全な床に移動しました。
しかし、何をしても電気ショックを止めることができなかったCグループは、低い障壁を飛び越えようとすらせず、無気力に電気ショックを浴び続けました。
これは、動物には一度どうにもできないことを学習すると、その後もどうにもできないと思い込んでしまう性質があることを示しています。
人も同じく学習性無力感があります。
例えば、幼いときに数学の初歩でつまづきどうしても解けない問題に苦しむと、算数は難しくてできないものだと思い込み、理解する努力を投げ出してしまうようになります。
自分がどうしてもやりたいことがあって親に訴えたにも関わらず、頑なにやらせてもらえなかった子供は「自分がやりたいことはできないんだ」と思い込むようになります。そして、自分で選択することを放棄するようになります。
学校でいじめにあって「しょうがないんだ」と抗うことをやめた子供は、その後の人生でも「しょうがないんだ」と受け入れて抗うことをしなくなります。
幼少期と成人して働き出した後では、選択できることは大きく変わります。成人すれば自由に働くことができ、免許もありパスポートも取得でき、自由に海外に行くこともできます。
にも関わらず、幼少期のどうしようもなかった経験をずっと引きずってしまい、選ぶ能力をずっと放棄し続ける人は少なくありません。
自分で選択するとは痛みを伴うことでもあります。
この世の全てはトレードオフの関係にあります。何かを選ぶということは、同時に他の何かを捨てるということです。
つまり、自分で選択するとは、手に入ったかもしれない何かを諦めることでもあります。
この選択することによる精神的な痛みも人が自分で選択することを放棄し、言われたとおりにやったり、なんでもかんでも手に入れようとする要因にもなっています。
しかし、選択する痛みから逃げて選択する権利を放棄し、自分の人生の決定権を他人に預けた人の末路は後悔しか待っていません。
成功と幸せを手に入れるためにやらなければいけないことは、選ぶ力は自分だけのものであり、他の誰にも奪えないと理解することです。
あなたの人生で何をするかを選択できるのはあなただけです。
あなたの選択権を放棄して他人に任せたとしても、放棄するという選択をしたのはあなたです。
ハーバード大学の有名な哲学者だったウィリアム・ジェームズは次のように述べています。
自由意志とは、自分たちの内側にあって他人や環境などに左右されることなく、自分自身が何かをしようと思うことです。つまり、自分に正直に選択することです。
まずは「自分には選択する自由がある」と信じることから始まります。
成功と幸せを手に入れる人は、自分が持つ選ぶ力を決して無駄にしません。選ぶ権利を手放すことは、他人に自分の人生を決めさせることだからです。
自分で選ぶ能力の価値を理解し、大切に実行します。
この記事はAppleやGoogle、FacebookやTwitterなどの世界的に有名な企業でコンサルティング経験のあるグレッグ・マキューン(Greg・Mckeown)氏の「エッセンシャル思考」という本の一部要約と抜粋です。
世界的ベストセラーになったこの本には他にも人生を成功と幸せに導く格言がたくさん載っています。
興味を持たれた方は是非実際に手に取ってみることをお勧めします。