私たちは家や学校など「努力が大事」「頑張ることが大事」と言って育てられています。
そして「努力しただけ報われる」と信じている人もたくさんいます。
ですが「努力しただけ報われる」というのは幻想です。現実はどれだけ努力しても報われないことがあります。
勉強や仕事など「こんなに努力してるのに」と思っている人は「努力」に関して重大な勘違いを犯しています。
決して努力が悪いわけではありません。
「努力」という言葉は抽象的で範囲の広い言葉です。そのため、努力の結果や価値はイコールではありません。
どんな努力をするかによって価値が大きく異なります。
また、努力や根性主義の人は「努力しただけ報われる」と考え「あれもこれもやろう」とします。その結果、ものすごく努力してるにも関わらず、たいした結果が出ない人生を送ることになります。
ここでは、「努力しただけ報われる」がなぜ幻想なのかと、「あれもこれもやろう」とすることがなぜたいした成果を生まないのかについて解説しています。
「努力しただけ報われる」がなぜ幻想なのかというと、やる内容によって努力で得られる結果や価値が違うからです。
例えば、あなたが何か欲しいモノがある場合に1万円が必要で、お金を稼ぐために簡単な仕事をするとします。
自宅でできる袋詰めの仕事をすると、1袋あたりもらえるお金は約0.5円です。1時間めいいっぱい集中して800袋詰めたとします。するともらえるお金は400円です。
一方、工場のライン工として流れてくる製品を選別する仕事をした場合、流れてくる量が大してなかったとしても稼げるお金は1時間で800円です。
袋詰め作業は手を一切止めずに集中して作業し続けているため努力の量は工場のライン工を大幅に上回っています。
ですが最終的な結果(価値)は工場のライン工の半分しかありません。
あなたが欲しいモノを買うには袋詰めは2倍の時間がかかります。
1日2時間だけ働くとすれば、工場のライン工なら7日目に欲しいモノが買えます。一方、袋詰めは13日もかかります。
このように努力の種類によって効果が大きくことなります。
努力は時に報われるどころか、失敗や死など惨憺たる結果をもたらすことがあります。
イギリスの著名な作家であるジョージ・オーウェルが書いた「動物農場」という本があります。
ある農園の動物たちが劣悪な農場主を追い出して理想的な共和国を築こうとするものの、指導者の豚が独裁者と化し、恐怖政治へ変貌していくという内容です。
その中に、ボクサーという知能が高くまじめで働き者の馬がいました。ボクサーは他の動物からも大変信頼の厚い馬でした。
他の動物たちが困難に合うたびに「俺がもっと働こう」と言って、どんどんと仕事を引き受け努力に努力を重ねました。
結果として、体を壊し働けなくなり最終的には馬肉業者に売られて解体処分されました。
このボクサーの例のように、努力してもほとんど報われないどころか、努力に努力を重ねたせいで体や精神を壊し大きなマイナスを被ることもあります。
「努力しただけ報われる」と信じて努力し続けることは何も考えない事と同じです。
必要なのは「なんのために、どんな努力をするか」です。
動物農場の努力し続けたボクサーの末路からもわかるように、「努力しただけ報われる」は思考停止で、肉体や精神の死への道を歩む危険な思想でもあります。
現実社会でも多くの人がボクサーと同じ危険な思想に陥っています。そういった人は次のように考えています。
もちろん、ここが事業の山場で乗り越えさえすれば安定があると算段して、一時的に仕事の負荷を上げている場合はまだいい方です。
ですが、「努力」と「根性」で何とかしようとする人はほとんどの場合で、その局面を乗り越えても次から次へとまた「努力」と「根性」を必要とする場面に遭遇することになります。
その度に「ここさえ乗り切れば」「努力は必ず報われる」と闇雲に信じてやり続けます。結果、過労で倒れ、一番の資本である体をダメにしてしまいます。
「努力しただけ報われる」、「努力と根性でなんとかなる」という間違った思想を変えない限り、人生で成功や幸せを得られることはありません。
「努力しただけ報われる」という誤った考え方を信じ込んでしまう大きな原因は、幼少期や小・中・高校・大学など、能力値が低いときや決まりきったレールの上を走っている時は「努力しただけ報われる」ことが多いからです。
学校で「テスト範囲はここです」と言われたら、そこだけ集中的にやればテストの点数は上がります。
これは「努力したから報われた」側面もありますが、それ以上に「何のために、どう努力するか」が明確に決められているから、効果のある正しい努力をすることができたのが一番の理由です。
「テストで高得点を取る」という目的のために「テスト範囲のみに的を絞って努力する」した結果得られたものです。
この問題点は「何のために、どう努力するか」を自分で決めていないことです。学校の性質上仕方のないことですが、先生がすべて決めています。
一番重要な根柢の部分を自分で決めていないので「正しい努力をしたから報われた」と考えるのではなく、安易に「努力したから報われた」と勘違いしてしまいます。
学校のテストにおいても「努力しただけ報われる」が成り立たなくなる限界ラインがあります。
それは、生徒の賢さが上がり、テスト範囲が広がったり限定されていないときです。
前回のテスト結果が30点だった人が50点に上がることは容易です。ですが、前回のテスト結果が85点だった人が95点にあがるのはより難易度が上がります。
また、テスト範囲が限定されている場合は、教科書の指定されたページだけ勉強すればいいのに対し、何も限定されていない状態で100点を目指そうとしたら、教科書の隅から隅まで細かく学習しなければいけません。
もちろん努力の量は跳ね上がります。これまで数ページでよかった努力が、数百ページになります。にも関わらず、得られる結果は数点でしかありません。
更に、既に100点とっていて、範囲の教科書も読み終えた人が、新たに他の分野の教科書を読み漁ったところで、点数は100点以上になりません。
つまり、努力と報酬の関係は限界があります。比例関係ではなくどこかで必ず飽和します。
学校のテストのように評価の上限値が決まっている場合は、どれだけ努力するかをまだ決めやすいです。
ですが、時給のように働いたら働いただけお金が入る場合や、仕事をこなせばこなすだけ評価が上がる場合は一番危険です。
努力による成果が青天井のように感じてしまいます。ですが、上限があるのは成果ではなく、自分自身の体の方です。
より多くのことを引き受ければ、引き受けた分だけ集中力と体力を消耗し、睡眠時間が削られ、体がボロボロになっていきます。
既に一生懸命はたらいているのに、更に労働時間を増やしたところで成果は上がりません。
真面目で一生懸命働いている人の多くが「努力しただけ報われる」と思い込んで、余計に仕事を引き受けていきます。
その結果、体力と精神を消耗し生産性が下がり、たいした成果が上がらなくなります。
これではまずいと考え、更に一生懸命頑張ろうとし、負のループに陥って健康を害していきます。
こういった人たちが本来やるべきなのは、「仕事の量を減らすこと」です。
そして、浮いた時間を身体の回復に回し、生まれたエネルギーを本当に成果を生み出している大事な仕事に注力すれば成果が出ます。
つまり、仕事を減らした方が生産性が上がります。
「努力」に関する勘違いは決してあなたが悪いわけではありません。この社会、とりわけ日本で育った場合は仕方のないことです。
私たちは学校教育やテレビドラマや映画など「努力することが美学」「努力すれば報われる」というごく一部の成功者の話ばかりを聞かされ続けて育っています。
「努力しただけ報われる」と信じて体をボロボロにしてまで働いた結果、大して報われなかった人の人生がドラマ化や映画化されることはありません。ですが、現実社会はそういった人の方が多いのが実情です。
そのため、頭は「努力しただけ報われる」と洗脳されています。
「努力」に関するウソについて、親や学校の先生、上司、友達もみな勘違いして生きています。
「努力」に関する正しい知識は自分自身で獲得しない限り得られることはありません。接する機会は少ないですが、その内容は決して難しいものではありません。
心から喜ぶことができ人生の終わりに「後悔はない」と言える人生を歩むために必要なことは、「努力すれば報われる」と信じてあれもこれもやろうとすることではありません。
もちろん「努力しても報われないから、努力しない」という愚かな選択をすることでもありません。
必要なこと、「何をやらないべきか」「無駄な努力で体を消耗しないためにはどうすべきか」を考えることです。
「もし、たった一つのことしかできないとしたら、自分は何をやるのか?」と自分に問いかけることです。
努力すべきはたくさんのことをやることではありません。行動を起こす前に何をすべきかを徹底的に考えることです。
あなたが「努力しただけ報われる」は勘違いで危険な思想であることに気付き、「自分にとって本質的に大切なことは何か」を追求する努力に切り替えることで、一度きりの人生で、かけがえのない成功と幸せを得られることを心から願っています。
この記事はAppleやGoogle、FacebookやTwitterなどの世界的に有名な企業でコンサルティング経験のあるグレッグ・マキューン(Greg・Mckeown)氏の「エッセンシャル思考」という本の一部要約と抜粋です。
世界的ベストセラーになったこの本には他にも人生を成功と幸せに導く格言がたくさん載っています。
興味を持たれた方は是非実際に手に取ってみることをお勧めします。