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カウンセリングの基本「無条件の肯定的関心」とは何か?犯罪者であっても目の前にいる人はいい人と考える(性善説の重要性)

無条件の肯定的関心とは何か?

人が抱える問題や悩みを解決するカウンセリングの大前提の心得に「無条件の肯定的関心」というものがあります。

無条件の肯定的関心とは、相手が犯罪者であろうが、精神異常者であろうが、病的な人であろうが、極度のマイナス思考の人であろうが、目の前にいる人はいい人と考えることです。

過去に何をやったのか、今何をしているのか、これから何をしようとしているのかを問わず、まず一人の人間として相手を承認するという姿勢です。

その姿勢こそが人を命を救うための第一歩になります。


犯罪者を肯定していいのか?

無条件の肯定的関心で、目の前にいる人はいい人と考えることに対して、「犯罪者を肯定してもいいのか?」「誰かを傷つけたいと言っている人を肯定してもいいのか?」という反感を抱く人がいます。

倫理的や道徳的に考えたら答えはノーです。ですが、カウンセリングとは倫理的、道徳的に考えることではありません。

目的は人の命を救うことです。それは目の前でカウンセリングしている人の命だけでなく、その人が将来的に傷つけてしまう可能性がある人の命も救うということです。

例えば「誰かを傷つけたくて仕方がない」という人がいます。ですが、その人はそれを行動にする前にあなたに相談してきたわけです。

「誰かを傷つけたい」と考えている自分が危険だ、どうにかしなければいけないと感じて、頼り勇気を出して打ち明けてきたわけです。

それを「それはいけないことだ!」「あなたは危険だ!」と言って否定や批判したら、相手は更に深く傷つき、その傷は自分自身や他人の命を奪うことになります。

そうではなく、この人は本来いい人で、「誰かを傷つけたい」という衝動を抱いたのには何か理由があると考え、その原因を一緒に探し、解決するサポートをするのがカウンセラーの役目です。

だからこそ、カウンセラーは相手が過去にどんなに酷いことをしたり、現在酷いことを考えていたとしても、相手は根本的には良い人だという姿勢で接する必要があります。

point

今目の前にいる人は無条件に良い人だと考えて接することが、相手の命や、その他の多くの人の命を救うことにうながる。



性善説を信じる

世の中には性善説と性悪説があります。孔子の弟子の孟子が説いたのが「性善説」で、人は本来いい性質を持っているという考え方です。

一方これに対して、荀子が説いたのが「性悪説」です。人は本来、利己的な生き物だから統治して修正しなければいけないという考え方です。

無条件の肯定的関心とは、性善説を信じるということに他なりません。


アルコール依存症の人は悪い人か?

世の中にはアルコール依存症になっている人たちがいます。お酒をのみ飲んだくれて働かず、家のお金を盗んだり、家族に暴力を振るったりする人もいます。

社会的にはそういった人たちは、害悪で排除すべき存在として扱われます。ですが、本当にそうでしょうか?

Googleで人事を担当し、カウンセラーとしての側面も持つピョートルさんは次のような話を語っています。

ピョートルさんはには二人のお兄さんがいました。一番上のお兄さんはアルコール依存症でした。

ピョートルさんの出身地のポーランドの田舎では、アルコール依存症の家族がいるというのは、周りに住んでいる人たちから非常に評判が悪いものでした。

ピョートルさんはそのお兄さんのことが大嫌いで、お酒を飲んで問題を起こすたびに、なんとかそれをやめさせようとしました。

しかし、怒られた次の日も結局、お酒を飲んで道端で寝てしまうといった状況が何度も続きました。

繰り返し説得してお酒をやめさせようとしていたピョートルさんはいつしか「死ねばいいのに」という気持ちで接するようになりました。

すると、あるときお兄さんは本当に死んでしまいました。

ピョートルさんはそれを心の底から後悔したそうです。自分がもう少し違った接し方をし、もっと話を聞いてあげていれば、お兄さんは死なずにすんだかもしれないと。

一方、もう一人のお兄さんとは、一番上の兄が亡くなってからコミュニケーションの方法が変わり、それまで仲が悪くてずっと口をきかなかったのが、お互いに何でも話せるほど仲良くなりました

この経験を通じて人に対する考え方が次のように語ったと述べています。

今までは、周りに迷惑をかける人は、何か意図的に邪魔をしようとしているものだと思っていました。ですが、そうではないと気が付きました。

人は、相手の邪魔をしたいといったネガティブな動機ではなく、根本的にはポジティブな動機で動いていると考えているようになりました。

まさに性悪説から性善説への転換です。

そして、アルコール依存症について、次のように語っています。

アルコール依存症の良し悪しは別にして、「お酒を飲んで落ち着きたい」というのは前向きな欲求。

周りに迷惑をかけているのは、単にやっている手法が間違っているだけ。

point

人に迷惑をかけるといった問題行動を起こすのは、自分の気持ちをなんとかして落ち着かせたいというポジティブな欲求があるから。そのポジティブな欲求を満たす方法が間違えているだけ。


人は性悪説も併せ持つ

ここで注意しなければいけないのは、人は真に良い行動だけをする生き物ではないといことです。

相手よりも自分の利益を優先したり、めんどくさいと感じたり、怠けたり、手を抜いたり、ウソをつくというのは人が持っている本能的な行動です。

人は性善説も性悪説も併せ持つというのが正しく、そして、人は一般的に社会で悪とみなされている行動を制御することができるものです。

このためカウンセラーとして重要なことは、今目の前にいる人はいい人という性善説に基きながら、いかにリスクを減らすかが重要です。

point

人は良い側面と悪い側面の両方を持っていて、それらはコントロールすることができる。カウンセラーの役割は良い面を理解し、悪いリスクを減らすこと。


ポジティブな行動を促す

性悪説に基いた悪い側面を減らすとは、例えば、何かの行動を促すときに「決まりだからやれ!」と命令すれば、相手の心には反発心やストレスが生まれます。

そういった感情は悪い側面を増加させます。

一方、「~をやってくれないかな」「あなたしか頼れないんだ」というように言い方を変えれば、ストレスを抱くことなく「しょうがないな」と言いながら自発的に動いてくれるようにもなります。

これは誰かのために行動するといったいい側面を増加させます。

他にも相手から良い側面を引き出す方法はたくさんあります。

「美味しいチョコレートを食べて、エネルギー補給してから、みんなで頑張りましょう」と言っても「よしやるか!」という気持ちになります。

このように、人が持つ良い側面と悪い側面は、周りにいる人たちの接し方次第で簡単に変わります

だからこそ、相手の気持ちに配慮してポジティブな行動を促すことが非常に大切です。そういった接し方をするためには性善説に基いて相手を見る必要があります。

point

相手が性善説に基くか、性悪説に基くかを決めるのは、その周りにいる人たち次第。


性善説も性悪説も存在しない

そもそも論ですが、本質的には「性善説」も「性悪説」も存在しません。それらは、古代中国で上に立つ人たちが人々を管理するために、行動に対して「善」と「悪」を持ち込んだからに過ぎません。

私たちはの本質は何百年前からずっと続いていた狩猟採集時代のままです。

「残り僅か」と言われたら「欲しい!」という欲求が強まり、魅力的な異性を目にしたら性的な興奮を抱いたり、逃げまどう人々を見たら、自分も一緒になって逃げる。身の危険を感じたら、そのリスクから逃げるか、あるいはそのリスクを排除しようとする。

これらは、良い悪いではなく、狩猟採集時代という過酷な環境の中で、祖先を残し生き残るために必要だった本能です。

私たちの祖先にこうした本能があったからこそ、私たちは今こうして存在することができます

私たちが悪いとみなしているものは、生き残るために必要だった本能であり、何かのトリガーによって無意識のうちに急に引き起こされるものでもあります。

私たちは、そうした衝動を思考によってコントロールすることもできます。その側面を上手に引き出すのがカウンセラーの役割です。



参考

この記事の内容はモルガン・スタンレーやGoogleで人材育成や組織開発を率い、自身も起業家であるピョートル・フェリクス・グジバチさんの著書『世界最高のチーム グーグル流「最少の人数」で「最大の成果」を生み出す方法』の一部要約に個人的な見解を加えたものです。

本書は現代の組織に求めれているものは何か?それを得るためにはどうすればいいかが具体的かつ論理的に記されています。

使われている用語は専門用語ではなく、誰にでもわかりやすいものになっていて、例も豊富に乗っている非常に実践的な良書です。

会社を率いている人や部署を率いている人、あるいはマネージャーを目指している人の必読書といえます。

この記事に興味を持たれた方は実際に本書を手に取ってみることをお勧めします。



yuta