人は皆「自信」が欲しいと強く願っている生き物です。自信が欲しくて努力をし、自信が欲しくて色んな本を読んだり、洋服などの買い物をしたりします。
自分を信じると書いて「自信」です。多くの人は自信は自分の中から生まれてくるものだと思っていますが実は違います。
ここでは、自信はどうすれば手に入るのかについてまとめています。
自信がある人の自信はどこからきているか?と考えてみると、決して生きている中で自分の中から自信が出てきたわけではありません。
努力して何らかの結果を出したときに、誰かが「すごいですね」と認めてくれたときに初めて自信が生まれます。
自分が自分自身を信じたわけではなく、周りがあなたを信じたときに自信が生まれるのです。
本やマンガを読んで自信をつけるのも同じです。あなたの中に自信があったわけではなく、本の著者やマンガのキャラクターのセリフや生き方から自信をもらっているのです。
自信をつけるには、世界中のあらゆる人から信頼される必要はありません。誰か1人が信じてくれれば自信はつくものです。
例えば自分にはずっと自信がなかったけど、初めてできた彼女/彼氏が「あなたは絶対に大物になる」と言ってくれれば、それだけで自分の中に強烈な自信が芽生えます。
周りの人から否定や批判されたとしても「あの人が『あなたは絶対に大物になる』っていってくれたから」という言葉が自分の中で響き渡り、それがもう一度立ち上がる自信になります。
世の中の人がやりがちな大きな勘違いに「信頼するなら責任を持たなければいけない」という考えがあります。
ですが、信頼に責任は必要ありません。信頼は無責任でいいのです。たった一人の無責任な信頼があれば、人は死ぬまで自信を持ち続けることができます。
このことは日本の小説家 小林多喜二とその母の物語からも学ぶことができます。
小林多喜二とは第二次世界大戦前の日本の作家です。「蟹工船」という小説を書いたことで有名です。
現代ではブラック企業の告発やパワハラ、モラハラなどの言葉の浸透が示すように労働条件がかなり改善されていますが、当時の日本は非常に劣悪でした。
トンネル工事などの工事現場では、現場監督や力のある者が威張り散らし、労働者をこき使っていました。いじめ、暴力は当たり前で、殴って無くなってしまった亡骸をそのままトンネルの壁の中に埋め込んでしまうような時代でした。
そんな中で理不尽な労働環境を強く批判した勇気ある小説が「蟹工船」です。幼い頃から漁港で不当に扱われる労働者を目にしていたため、そうした弱い人たちを助けたいという気持が強い優しい人物でした。
小林多喜二は他にも「戦旗」という小説を書きました。
当時の日本では社会を変えようとする社会主義や共産主義的な考え方は、国を転覆させる危険があるとして治安維持法と特別高等警察により厳しく取り締まられていました。
小林多喜二は「蟹工船」や「戦旗」は共産党主義的な思想を含んでいたため、逮捕され東京の豊多摩刑務所に投獄されました。
小林多喜二は獄中でひどい拷問を受けます。体中のあちこちが殴られ痛めつけられボロボロで腫れあがっていました。
連日の拷問によりいつ死ぬかもわからないという状態になってしまいました。
そんなときある一人の心優しい警官が「このままでは多喜二は死ぬかもしれない」と思い、死ぬ前に母親と会わせてあげたいと考え、「5分だけ面会できる」という旨の手紙を、北海道の小樽にいる多喜二の母に送りました。
母はそれを見て「5分もいらない、死ぬ前に一目でも見れるならそれでいい」と言って、東京に行くことを決意します。
母は一人暮らしでお金もなく、東京までの汽車に乗るお金を持ち合わせていませんでした。
そこで近所を回って「どうかお金を貸してください」とお願いをし、ようやく東京までの汽車賃を集め、汽車に乗りました。
しかし、その時は雪でところどころで列車が止まってしまいます。多喜二が死んでしまうかもしれないという状況の中、母はいてもたってもいられず、他の人たちが「無理だからやめておきなさい」と言う中、歩いて次の駅まで行きます。
それを何度も何度も繰り返してようやく、東京の豊多摩刑務所に辿りつきます。
面会の時間まで待合室で待っている多喜二の母は憔悴しきっていました。
それを見かねた警官が「お母さん。体が冷えるといけないから火鉢にあたったらどうだ?」と火鉢を持ってきてくれました。
お母さんはそれを見て「多喜二も火にあたっているのかい?」と訊きました。警察官が「いや、規則だから、あたっていない」と答えると「多喜二があたっていないのなら、私もあたらなくていい」と答えます。
更に時間が過ぎ、何も口にしていない母を見かねた警官が「これは残りのうどんだけど、温めなおしたからよかったから食べないか?」と声をかけました。
母は「多喜二もこれを食べているのかい」と訊きました。警察官が「いや、規則だから、食べていない」と答えると「多喜二が食べていないなら、私も食べなくていい」と答えました。
そうして待っているうちにようやく5分間の面会の時間がきます。
面会場所に連れてこられた多喜二は床の上にドサッと投げ出されます。
髪の毛は丸坊主に刈り取られています。体はガリガリにやせ細っているのに、拷問により足や顔がパンパンに腫れた状態で、誰だかわからない状態でした。
母が「多喜二、、なのか?」と聞くと、多喜二は「はい、多喜二です」と答えました。二人は涙が止まらず、母は「多喜二、多喜二」と叫びながら泣き続けます。
それを見かねた警官が「ほら時間がないんだからなんか話したらどうだ」と急かします。それでも二人は泣き続けました。
4分が経過し最後の1分になったときに、警官が再度急かしました「ほら顔をあげろ。何か言う事はないのか」
そこで母が次のように伝えました。
多喜二、お前はなにも悪いことはしとらん。お前の書いた文章は立派な文章だ。素晴らしい小説を書いた。お母さんはそれを誇りだと思っている。
面会の時間は終わり、多喜二は警官に引きずられてつれていかれました。母は一人小樽へと帰っていきました。
その後、多喜二は一度釈放されました。しかし、共産党の活動に参加していたときに、スパイとして潜入していた警官の裏工作にハマり、再度逮捕され東京の築地警察署に投獄されてしまいました。
真冬の寒い中丸裸にし、ボコボコに拷問され、その日のうちに意識不明の重体で死亡してしまいました。
多喜二の亡骸は拷問により全身腫れあがり、下半身より下は内出血によりどす黒くなっていました。
死に向かう拷問を受けている間に多喜二は次のように言いました。
もう殴らないでください。お願いだからぶたないでください。叩かなくても私はまもなく死にます。
あなたたちは私を地獄に落とそうと殴り続けました。でも、私は絶対に地獄なんかに行きません。なぜなら、母が私を信じてくれました。だから私は安心して天国へ参ります。
母だけが私を信じてくれました。
母のたった一度、たった一言の信頼が、命の灯が消える寸前でも、多喜二の自信を保ち続けたのです。
実は多喜二の母は、しっかりとした教育を受けておらず文字を読むことができませんでした。このため、多喜二の小説を読むことは不可能だったのです。
つまり、母は小説の内容がわからないのに「お前の書いた文章は立派な文章だ。素晴らしい小説を書いた。お母さんはそれを誇りだと思っている」と言ったわけです。
無責任な言葉ですが、人に信頼を与えるためには責任などいりません。無責任でいいのです。
私たちは学校教育の中で、異常なまでに責任をまっとうし、正直さを求め続けられています。
ですが全てのことに責任をもち、常に正直でいることが正しいとは限りません。むしろ、その責任と正しさが、人から希望を奪い死に追いやることが頻繁に怒っています。
「ダメだ」「無理だ」などと否定的な言葉を言う必要は一切ありません。
相手に自信と希望を与えるために必要なのは責任ではありません。無責任に肯定することです。
信じてくれる人がいるからこそ自信が出るのです。人を信じれば相手もあなたを信じてくれます。
損得を考えると言った、言わないの話になります。そうではなく善悪で考えれば、善な言葉や行動が溢れてきます。
自分の人生を、そしてあなたの周りにいる全ての人の人生を明るく照らし幸せなものにするためにも、「大丈夫。きっとできる」「あなたはすばらしい」「心配ない」「なんとかなる」という言葉を無責任にどんどん言っていきましょう。
「いつも傍にいるよ」「応援するよ」というメッセージを伝えていきましょう。
私は、あなたがよりよい人生を歩んでいけると信じています。「大丈夫。あなたならできます!あなたの考えていることは素晴らしい!」
この記事の内容は複数の企業を経営する中村信二さんの「営業の魔法」の一部要約および、自分なりの解釈を加えたものです。
営業の魔法は音声版で楽しく学ぶことができるものです。美しい心理描写のストーリー仕立てで、主人公が学びながら成長していく姿がありありと目に浮かびます。
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仕事や生き方で迷っている人はぜひ聞いてみることをお勧めします。心に希望の光を与えてくれる、何度も何度も聞き返す価値のある素晴らしい一冊です。