世の中には「本当に過酷で辛い経験をしたおかげで、強くなれた」という人がたくさんいます。
「あの時に死ぬほどつらい経験があったから、今がある」「危機的な状況を乗り越えたおかげで、成長できた」という言葉は至る所に溢れています。
こういった言葉を聞くと、私たちが成長するためには、ツラい経験や悲しい経験、危機的な状況が必要なように感じます。
そして、成長のためにそういった経験を自ら求めようとする人たちがいます。ですが、それは完全なる過ちです。
ここでは、死ぬほど辛い経験がなぜ不要かについてまとめています。
そもそも死ぬほどの経験とはどんなものがあるでしょうか?体力的に過酷なこと、精神的に過酷なことなど様々です。
例えば、10年間片思いしていた女性にフラれた、結婚して信じていた人が浮気して離婚することになった、スポーツで大けがをした、大きな交通事故に遭い数か月の入院を余儀なくされた、子供が交通事故で亡くなってしまった、学校でいじめられた、会社で暴言を吐かれ無理なノルマを課せられ続けた、会社が倒産の危機に瀕して従業員がみんな辞めてしまった、妻と子供が出て行ってしまったなど、様々です。
こういった経験をした人たちは過去を振り返りこういいます。
「あの時の経験があったから、今こうして幸せでいられる」「あの時の経験のおかげで、人間として一回り成長することができた」と。
確かに、そういった死ぬほどつらい経験をして、それを乗り越えた結果、大きく成長できた人は少なくありません。
ですが、本質的には「そんな経験をしなくとも人として十分に成長することができます」
10年間片思いし続けてきた女性にフラれたことで、強くなれたという人は間違っています。フラれた瞬間に発生したのは心の穴で、過ごしたのは死にたくなるぐらい絶望した時間です。
人の人生は心に穴がなく希望を持っている状態の方がいいに決まっています。
そして、10年間も告白を先延ばしにしてしまえば、フラれたときのダメージが大きくなることは容易に想像がつきます。また、10年間結ばれることが無かった時点で、上手くいかない可能性があることも簡単に想像がつきます。
そういったことは、周りの人たちの恋愛事情を調べればわかることです。世の中に数えるほどしかない奇跡的な感動ストーリーを本や小説で読んだり、現実とは違うマンガの世界を勘違いしたせいで発生した愚かなミスでしかありません。
スポーツの怪我も同じです。怪我をして強くなることはありません。あなたの体にはダメージが入り確実に弱くなっただけです。
怪我をしている間はスポーツができません。仮に「スポーツができない間に学んだことが多かったんだ」というのであれば、スポーツ以外でも多くのことを学べるということは怪我をしなくてもわかることです。
怪我をする前に、自らの意志でスポーツから離れればいいだけのことです。わざわざ怪我をする必要はありません。
怪我をしなければ学べなかったというのは愚かないいわけです。
結婚して信じていた人が浮気して離婚することになったのも、人間性を見抜いたり、相手の本性を確かめる努力をしてこなかったのが原因です。
妻と子供が出て行ってしまったのも、妻と子供がいるときにその大切さを理解しようとしなかったのが原因です。
従業員が全員辞めてしまったのも、社長が社員を大切に扱わなかったのが原因です。
いずれのことも、世の中には対処法やそれに気づかせてくれるものが溢れています。
つまり、何事も死ぬほど辛い経験をしなくても、その前に学習することができるということです。
ドラゴンボールなどのマンガで瀕死になった主人公が2段階も3段階もパワーアップする空想に騙されて、洗脳されてはいけません。
「死ぬほど辛い経験をすれば、人間として一回りも二回りも成長できる」といったように、マイナスの経験の中にプラスを見出そうとするのは人の性質の一つでもあります。
私たちの祖先は20万年もの間、過酷な環境の中で狩猟採集時代を生き延びてきました。今ほど安全ではなく、医療も発達していません。獣に襲われて手足を失ったり、病気に見舞われて目が見えなくなるなどたくさんの危機がありました。
そのような中で生き延びて子孫を残し続けるためには、生きようとする強い気持ちが必要です。このため、私たちには「マイナスの経験の中にプラスを見出そうとする」本能が宿っています。
その本能自体はとても素晴らしものです。いけないのは「マイナスの経験が自分を成長させる」という勘違いです。
多くの人がその勘違いにより、人生の多くの時間を無駄にしています。
なお、マイナスの中にプラスを見出そうとする人の性質を「起死回生の誤謬」と言います。誤謬とは間違った考えのことです。
世界中で引用されている有名な言葉の一つに、ドイツの哲学者 フリードリヒ・ニーチェが言った次のようなものがあります。
死にたくなるほどの経験を乗り越えると、人は強くなれる
とても響きがよく信じたくなる言葉です。
フリードリヒ・ニーチェ自身、若い頃に父親と弟を失い、自信が発表した論文は強烈な批判を浴び、片頭痛や激しい胃痛など様々な健康上の問題も抱えていました。
そんな過酷な中でも最終的には有名になった人の言葉なのでさぞかしありがたく感じます。
しかし、ニーチェは晩年気が狂い、わけのわからない文章を書いたり、意志の疎通ができなくなり、55歳の時に肺炎で亡くなりました。
「死にたくなるほどの経験を乗り越えると、人は強くなれる」と強く信じようとしたものの、結果は、そうはならなかったわけです。
不快なことが自分のためになる、というのは完全に間違った思い込みです。
過去に偉業を成し遂げた偉人たちは、不幸や難問を避けることが重要だと述べています。
古代ギリシャの哲学者で西洋最大の哲学者、万学の祖とも称されるアリストテレスは次のようにのべています。
賢人が目指すべきは、幸福を手に入れることではなく、不幸を避けることだ。
世紀の超天才がいきついた結論は「幸福を求めよ」ではなく「不幸を避けよ」でした。
世界長者番付の常連で世界屈指の投資家にウォーレン・バフェットがいます。彼ほど大きな成功を手にした人はいないと言っていいほどの現代の逸材です。
ビジネスや投資の世界で大成功を収めたウォーレン・バフェットも「避けることの重要性」を説いています。
私たちはビジネスにおける難問の解き方を学んだわけではない。学んだのは、難問は避けた方がいいということだ。
辛いできごとは危機でしかありません。そして、危機は強化のためのプロセスではありません。強化は学び鍛錬することで得られるものです。
「死にたくなるほどの経験を乗り越えると、人は強くなれる」という考えは今すぐに捨てて、不幸や難問を避けるための努力を積み重ねていきましょう。
この記事の内容はスイスの経営者かつ小説家でもあるロルフ・ドベリの「Think Smart ~間違った思い込みを避けて、賢く生き抜くための思考法~」の一部要約と自分なりの見解を加えたものです。
本書では人々が陥りやすい思考のワナとその対処法が、実例を踏まえてふんだんに紹介されています。
とても分かりやすく、成功したい、幸福になりたい思っている人の必読書です。
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