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嫌いな人・下に見る人には冷たくする?人を盛大にもてなすメリット|史記(横山光輝)学び概要まとめ03

現在に不満がある、幸福と感じられない、自分はもっとできるはずなのに、現状を変えたい。そんな様々な思いを持った人は少なくないと思います。

中国3,000年の歴史書として有名な史記には、賢く生きるためのヒントがたくさん詰まっています。「人」の性質を知り、より豊かに、より幸せに生きるために知っておくべきことが満載です。

そんな生きるためのヒントをシリーズで紹介します。

どんな客人でも盛大にもてなせ

落ちぶれてる人、みすぼらしい人、嫌いな人が訪ねてきた時でも、盛大にもてなす。

なんで、特にもならない人や嫌いな人によくしてあげなきゃいけないのか?何のメリットがあるのか?と思うかもしれない。しかし、盛大にもてなすことには大きなメリットがある。

どんな人でも、良くしてもらったらその良くしてもらったことを覚えている。同時に、適当にあしらわれたら適当にあしらわれたことを覚えている。

特に、自分が苦境に立たされている時、苦しい時に、どう扱われたかは一生根に残る。

今、その人は落ちぶれてるかもしれない、みすぼらしいかもしれない、何の地位もないかもしれない、でも、この先5年、10年、20年の将来の中で、その人が大出世していくことは大いにある。むしろ、落ちこぼれてる人ほど、成長の伸び幅は大きい。

つまり、落ちぶれてる人、みすぼらしい人、嫌いな人が訪ねてきた時でも、盛大にもてなすことは、未来への大きな投資。

その人が成長する確率は、宝くじなんかよりよっぽど高い。宝くじに投資するぐらいなら、もてなすことにお金を注ぎ込む方がよっぽど確率の高い投資になる。

ただし、結局は確率。宝くじが当たらないように、何の見返りも得られないかもしれない。でも、見返りが得られるチャンスも大いにある。

それに、落ちぶれてる人や困り果てている人が家を訪ねてくることなんて、長い人生の中でもそれほどない。宝くじみたいに毎年恒例で買えるものではない。その特大のチャンスを逃してはいかない。

晋の統治者になった文公は、統治者になる前、60の高齢で権力も弱く、旅の途中で寄った国々で、「あのような落ちぶれた老人は放っておけ」「早々に追い出せ」という対応をされたこともあった。

その時、誰がこの老人が、近い将来歴史に名を残すほどの統治者になると思っただろうか?

そして、仮にその人が後に統治者になった時に、自分のした対応が適切だったと心から思えるだろうか?

誰にも未来はわからない。だからこそ、盛大にもてなすのだ。

成功のために優れた側近は必須要件

中国の歴史を見ても、人の上に立ち長く安定した立場を保ち続けられた人には、自分よりも優秀な側近がついている。

春秋時代の斉の君主 桓公には、管仲(かんちゅう)、鮑叔(ほうしゅく)の2人がいた。

鮑叔だけでなく、管仲がいたことで、一国だけでなく、多くの国の上に立つことができた。

春秋時代の晋の君主 文公には、叔父の趙衰(ちょうし)、咎犯(きゅうはん)、賈佗(かた)、先軫(せんしん)、魏武子(ぎぶし)の5人の優れた側近がいた。

前漢の初代皇帝 劉邦には、張良(ちょうりょう)、韓信(かんしん)、簫何(しょうか)の3人の優秀な側近がいた。

自分よりも優れた人を登用し、才能を振るえる状態にしたことで、特大の成功をおさめることができた。また、部下に才能を発揮させてくれる人の元に、優秀な人がどんどん集まるというプラスのスパイラルも発生したことも大きい。

上に立つ人間がやるべきことは、自分のスキルを磨いて地位を確立することではなく、周りにいる優秀な部下たちが能力をフルに発揮できる環境を整えること。

それが安定した成功の必須要件。

内部の揉め事や内部分裂は気に入られようとゴマをする人から始まる

内部で揉め事が起こったり、内部分裂が起こって、最終的に国や組織が滅ぶ時、その発端には、上に気に入られようとゴマをする人の存在がある。

上の人に気に入ってもらいたい、上の人にどんな手を使ってでも近づきたいと思う人は、自分がもっと甘い汁を吸うことを考えている。

ゴマを擦って上に上がっていけば、反対するものも出てくる、今は取り入っている権力者が死んだ時に自分の身が危なくなる状況も出てくる。

自分が甘い汁を吸い続けるために、あらかじめ手を回して、自分の脅威になる人をおとしめる努力をする。

裏でありもしない噂をばら撒いたり、権力者に悪いことだけを報告したりする。自分の悪事がバレそうになれば命がけで弁明し、告発してきた勇気ある知者を真正面から批判する。その結果、内部分裂が発生し、国力が弱まり、他国に侵略され、国が滅びる。

逆に国や組織のことを本当に思う優秀な人材は、気に入られようなんて考えない。権力者にとって不快なことでも、やるべき、あるいはやめるべきだと思ったら忠告をする。

権力者からしたら気持ちいいものではない。それよりも、自分にヘコヘコして、楽しみや快楽を与え続けてくれる人の方が気持ちいい。

そして、その気持ちいい人を優先した結果、優秀な人が自国から去り、敵国の強化につながり、自分の身を危険に晒す。最後には、国が滅んでいく。

上に立つものが、本当に優秀な部下を見抜き大切にするかが、その組織の発展に大きく影響する。

もし、あなたに耳の痛い忠告を素直に聞き入れることができるなら上に立つ器量があるだろう。

逆に、自分が部下なら、上の行いや大切にしている側近の顔ぶれを見て、時にはその組織を見限ることが重要になることもある。

殷の王であった紂王、春秋時代の斉の君主 桓公、周の王 平王、みな、国を思う優秀な側近よりも、気持ちのいい側近を選び、結果、内乱や家督争いが起こり、これまで手にしてきたものが空中分解し、最後には惨めな終わりを迎えた。

子供はバラバラにその子の個性を伸ばすように育てよ

子供たちを皆、同じ教育内容で育てていくといずれ、子供達同士の争いが始まる。

子供に家を継がせたり、経営している会社を継がせたいと考える場合、複数いる子供全員を家を継ぐため、あるいは会社が経営できるように育てると、実際に引き継ぐタイミングで兄弟喧嘩が勃発する。時には憎み合い、殺し合いに至るかもしれない。

逆に、子供たちのそれぞれ異なる個性を尊重して伸ばしていけば、数学の道、美術の道、音楽の道、商業の道というように自分の好きな道を目指していく。ターニングポイントを迎えたとしても、「私はこれがやりたい」「僕はこの道に進みたい」となり、各々が自分の生き方を自己責任で決めることができる。

その方が子供は幸せになる。家も家族も明るく幸せになる。

斉の統治者 桓公の死後、その王位を巡って4人の兄弟間で何年にも渡る殺し合いの争いが続いた。

呉の王 寿夢(じゅぼう)にも4人の息子がいて、王が生きている段階から、側近の間で次の王位に誰をつけるかのポジション争いが始まっていた。

一方、孫氏の兵法で有名な孫武と手を組んで楚の国を討った伍子胥(ごししょ)の父、伍奢(ごしゃ)には2人の息子がいた。兄の伍尚(ごしょう)と弟の伍子胥(ごししょ)。
伍奢は楚で、君主の教育係という重役を担っていたが、陰謀にはめられ殺された。そのとき兄は父に寄り添って共に死ぬ道を選んだ。弟はどんな苦境を越えても生き延び復讐する道を選んだ。兄弟は互いに真逆の考えを非難するどころか、それぞれをの道を称え、各々望む道へと進んだ。


父の伍奢が子どもたちそれぞれの特性を理解し、強制することなく伸ばしてきた結果、自発的に自らの意思で決断ができ、同じ道を目指し衝突し合うこともない子に育った。

目の前に転がっているおいしい利益を手にすることよりも、自分の進みたい道を進むほうが幸せだと思える自発的な子に育てることが、将来他人を認めることにつながり、家族の結束を強める。

富国強兵とは自国を富ませるだけでなく、周囲との結託を強めることも含む

強大な敵に立ち向かうためには、強大な力が必要となる。もし、今の自分たちにその力がなければ攻め入るよりも富国強兵をすることが最重要となる。

ただし、自分の組織の人材を育て、資金を貯め込んでいくだけでは不十分。そこに、周りで力を貸してくれる人たちが加わって、ようやく本物の富国強兵となる。

孫氏の兵法の孫武が属する呉の国の王が、敵対する楚の国と戦おうとしたとき、側近にまだ力が足りないと諌められた。

そこから3年間、富国強兵に努め、国力がついてきた頃、再度、そろそろ楚と戦ってはどうか?と確認したところ、側近にまだ足りないと言われた。

足りないと言った理由は、自国の強化ではなく、協力してくれる周辺国のことだった。この3年間で敵国 楚に恨みを持つ国も増えたので、そこと協力関係が結べれば十分に攻め入れるときとなる。

その国々に使者を送ったところ喜んで協力関係を得られ、結果、楚に攻め入ることに成功した。

組織の強化を目指すのであれば、自分たちのスキルや資金を増やすことももちろんだが、周囲との関係性も良好に保っておく必要がある。その中で、相手が周囲から恨みを買う行為を続け、敵対する者が増えれば増えたときようやく準備が整う。

一度買った恨みは、相手が恨みを晴らすまで消えない(屍(しかばね)に鞭打つ)

もし一度でも恨みを買うようなことをしてしまったら、相手の持つ恨みはそれを晴らすまで消えることはない。その恨みは例えあなたが死んでも残り続け、あなたに関連するものに対して晴らされる。

楚の国の王 平王は孫氏の兵法で有名な孫武と手を組んで楚の国を討った伍子胥(ごししょ)の父に、無実の罪を着せて殺した。息子の伍子胥は生涯の恨みを誓い、他国に亡命し、10年以上の時を経て楚に攻め入りを征服を果たした。

その時すでに平王は死んでいた。楚に攻め入るだけでは恨みが晴れなかった伍子胥は、平王の墓を見つけ出し、墓から死体を掘り出し、既に死んでいる屍に300回のムチ打ちをした。

これを諺で「屍(しかばね)に鞭打つ」と言う。

一度買った恨みは、その人が死んだとしても消えない。死後も残り続ける。人から恨みを買うことを軽んずるなかれ。

目標が長期間達成できず焦った人間はミスを犯す(日暮れて道遠し)

ずっと目標にしてきたことが、何十年も達成できなければ人は焦るもの。そして、その焦りが強まればやがて焦りから大きなミスを犯し、自分を窮地にたたせることになる。

楚の国の王 平王は孫氏の兵法で有名な孫武と手を組んで楚の国を討った伍子胥(ごししょ)の父に、無実の罪を着せて殺した。息子の伍子胥は生涯の恨みを誓い、他国に亡命し、10年以上の時を経て楚に攻め入りを征服を果たした。そして、既に死んでいた平王の墓を見つけ出し、墓から死体を掘り出し、既に死んでいる屍に300回のムチ打ちをした。

この行為は、多くの人の目にあまりに非人道的で残酷だと映り反感を買った。伍子胥の恨みの強さは伍子胥のストーリーを知る者には理解できる。しかし、世の中のほとんどの人はそのストーリーを事細かに知らない。なにより他人なのでそこまで感情移入できない。

死体を掘り起こしムチなんども打つという行為をすれば、世の中の人はひく。そのことは伍子胥も十分に理解していた。

だが、何年も復讐を果たすことができない日々を送る中で、自分も年老い焦りを感じていた。その焦りもあり非道な行為に及んでしまった。

伍子胥は後から自分のしたことを振り返り反省している。その時にしたためたのが、「日暮れて道遠し」。日が暮れてきてもまだまだ目的地が見えず焦ってしまい愚かなことをしてしまった。という意味。

日が暮れてきても目的地が見えなければ人は焦るもの。だからといって、愚かな行動に出てはいけないという戒めの言葉。

出典

この内容は、「横山光輝(よこやまみつてる)」さんの、「史記(しき)」で書かれている内容です。

史記?中国の歴史所でしょ?なんか古臭くて、お固くて、現代人には必要ないね。時代遅れ。なんて思わないでください。

絵はシンプルで、とにかく読みやすくて、人間模様がありありと書かれています。

内容は、人が死ぬときは死ぬ、陰謀が成功するときは成功する、才能ある人も時代の流れにあわなければ滅びる、時代の流れに合えば悪いやつも成功する。そんな歴史上の事実がそのまま描かれています。

脚色されすぎたり、大人の都合で大幅カットされているわけではないので、学びも多いです。

この諺の内容はたったの数ページ(全体の0.05%)。また、記事は厳密さよりも、「わかりやすく興味を持てること」を重視しているため、もっと詳しくしりたい!と思った人はぜひ手にとってみることをお勧めします。


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