2000年以上前に司馬遷(しばせん)によって書かれた中国の有名な歴史書、「史記(しき)」には現代でも活かせる教訓が大量に隠されています。
2000年経っても色褪せない人間の本質から学び、現代における実例や使い方を考えることで常識や固定観念を打破し、これからの人生をより良きものにするためのヒントをリアルな歴史の成功事例と失敗事例から学んでいきましょう。
長い歴史の中でも最高級の評価を得ている歴史書 史記(しき)は司馬遷(しばせん)によって書かれました。横山先生の史記の中では、司馬遷の父がどのように息子を教育したかというストーリーが載っています。
当時一流の学者だった司馬遷の父 司馬談(しばたん)が息子に対してかけた言葉から賢くなるための大切な秘訣を読み取ることができます。
最初、司馬遷は父から勉強を学びました。そして、司馬遷が学び終えた頃、司馬遷の父は息子に対して次のように声をかけました。
おまえはよく頑張った。これからは私の学んだ学問だけでなく、新しい学問を身に着けよ
司馬談(司馬遷の父)
最初は自分で教え、手離れするタイミングだと思ったら、外で学ぶことを示唆したのです。そして、学ぶべき内容としては「新しい学問」を勧めました。
「新しい学問」はその時代時代によって変わりますが、当時の中国では儒学でした。儒学は孔子(こうし)の始めた学問ですが、秦の始皇帝によって弾圧され日の目を見ない時期が長くに渡り続いていました。しかし、司馬遷の時代にそれが見直され大変な勢いで広まっている状況でした。司馬遷の父はこの、時代の流れにあっている学問をすることを息子に勧めたのです。
そして、外に出て真剣に学問に打ち込み20歳になった司馬遷に父がかけた言葉が以下の2つです。
文字だけの学問では、その土地の風習や気質などその土地の匂いが伝わってこない
司馬談(司馬遷の父)
旅をして見ることは、百の文字より本当の姿を生々しく捉えることができる。
司馬談(司馬遷の父)
実用的な本物の賢さを身につけるためには、学問に励むことも大切ですがそれだけでは足りません。実際に外の世界を知ることで生きた知識になります。どちらかが欠けていてもだめなのです。2つが揃ってようやく実になるということを伝えています。
父から旅するように言われた司馬遷の言葉を聞けば学問を修めてから旅に出るという順番が大切なことがわかります。
行かせてください。わたしは歴史を学んで、偉大な故人の業績に思いをめぐらせてみたいと思っていたのです。
司馬遷(息子)
まず、学問をしておくことで、学習の仕方を学ぶことができます。さらに、知識に触れる中で想像を膨らませたり、実際に見てみたいと興味を抱きます。その状態で旅に出ることで、見たもの・出会ったものから多くを学び、記憶、理解、結びつけ、応用ができるようになっていきます。
これが歴史的偉業を成し遂げた、司馬遷が学び行動してきたことです。
それは、現代人でも同じです。歴史でも物理でも国語でもなんでも幅広く学んでから旅に出れば、何も知らない人よりも、多くのことに気づき学び取ることができます。自分の勘違いにも気づくことができます。この気付きや学びこそが生きた知識になっていきます。
子供が外の世界や新しいことを怖れないように、親が家の外で学べる環境を作り、新しいことを学ぶように教えることが、結果、子供のためになります。
大事な我が子だからとずっと家の中に置いて、外にいくことを避けさせ。自分が新しいことが苦手でよくわからないからと、子供からもそれを取り上げてしまったら、子供は家の外の世界や新しいことを怖れるようになってしまいます。
親が健在なときは子供を守れるので問題ないですが、親元を離れ外の世界に飛び出した時、対処する方法を知らず、変化や新しいことを恐れるようになります。自身を喪失し、自分を嫌いになり、ひどければ欝(うつ)になって、命を断ってしまうこともあるでしょう。
子供をそうさせないためにも、学ぶべきことをしっかりと教え、そして、外の世界に飛び出していくこと、新しいことを学ぶことの大切さを積極的に伝えていきましょう。子供が外の世界や新しいことに恐れを抱かなくなれば、自発的に世の中のことをもっと知りたいと思うようになります。そうしたら、心の趣くままに旅に行かせてあげましょう。親が守ってあげない方が子供は逞しく育っていきます。
そして、子供が自分の足で歩き、見て学んだことや感じたこと、すべての経験が今後の人生でずっと役に立つかけがえないものになります。
子供たちは皆、同じ教育内容で育てていくのが大事なのでしょうか?どうするとお互いを認め合える中のいい兄弟・姉妹になるのでしょうか?実際に中国の歴史から子どもたちの姿を見てみたいと思います。
一国の君主になれば必ず跡継ぎ問題というのが起こります。その時に必ず勃発するのが子供達同士の争いです。兄弟で殺し合うなんてことはほぼ当然としてあります。
自分とは関係ない遠く離れた過去のことなので、大変だなぁと他人事に感じるだけかもしれません。でも、もし自分の子供たちが、大人になってから仲が非常に悪く、家の中で殺し合いとまではいかないまでも、罵り合い、殴り合いといったことを日常的にし始めたら親としては気が気じゃありませんよね。精神的にもおかしくなってしまうかもしれません。
現代に当てはめて考えるなら、子供に家を継がせたり、経営している会社を継がせたいと考える場合、あるいは、遺産相続のタイミングで子どもたちがお互いを陥れようと喧嘩が勃発することが考えられます。時には憎み合い、殺し合いに至ることもあるかもしれません。
こういった状況は、子どもたちを立派に育てたい、恥のない子に育てたいと、一様に育てた場合でも発生します。一国の王の子どもたちですら陥ってしまう状況です。
子どもたちにはみなそれぞれバラバラな個性があり、各々やりたいことがあります。その中で、一環して同じ教育を施されれば、自分の意思で行動することよりも、与えられたものを受け取る子に育ちます。また、同じ教育を受けているので、同じものを欲しがる傾向が高くなります。
さらに、子供が育つまで十数年という長い歳月をかけて、子供たちがやりたいことではなく、やらなければいけないことをやってきたり、我慢して頑張ればご褒美がもらえるという教育を続けてきた結果、自分たちがやりたいことよりも、地位や権力やお金を求める傾向も強くなります。
このような状況で、目の前に裕福な地位、権力、お金など、欲を満たすものが転がっていたら、例え血のつながった兄弟であっても、取り合いになるのは普通のことです。
実際に、中国史の中でも有名な斉に桓公(かんこう)という君主がいました。しかし、死後、その王位を巡って4人の兄弟間で何年にも渡る殺し合い続いたこともありました。
呉という国でも同じことがありました。君主 寿夢(じゅぼう)には4人の息子がいて、君主が生きている段階から、側近の間で次の王位に誰をつけるかのポジション争いが始まっていました。兄弟同士での権力争いや殺し合いは歴史を見ると枚挙にいとまがありません。
では、どういう育て方をすると兄弟喧嘩をせず、むしろ父や兄など家族のことを思う子供に育つのでしょうか?
孫氏の兵法で有名な孫武と手を組んで楚の国を討った伍子胥(ごししょ)という人物がいます。伍子胥の父 伍奢(ごしゃ)には2人の息子がいました。兄の伍尚(ごしょう)と弟の伍子胥です。
父の伍奢は楚で、君主の教育係という地位のある重役を担っていましたが、ある時、陰謀にはめられ死刑を宣告されました。そのとき、兄は父に寄り添って共に死ぬ道を選びました。一方で、弟は兄とは真反対のどんな苦境を越えても生き延び復讐する道を選びました。兄弟は互いに真逆の選択をしました。しかし、「なんでお前はそっちを選ぶんだ」「こっちの道を選ぶのが道理だろ」ということにはならず、むしろお互いの選択を尊重しあいました。
それは、兄も弟も「〇〇しなければいけない」という義務感でその選択をしたのではなく、「私はこうしたい」という自分の意思でその道を選んだからです。
兄は自分の意思で父と共に死ぬ道を選びました。だからこそ、弟が生き延びて復讐するという道を選んでも、それが弟のした選択だと納得尊重することができたのです。
弟の場合も同じく。自分の意思で生き延びて復讐する道を選びました。だからこそ、兄が父が一人だと寂しいと思うから一緒に死ぬという選択をしたときに、それが兄のした選択だと納得尊重することができたのです。
このように、兄弟が各々の個性を全面に出し、自発的に自分の選択ができるようになったのは、父が子どもたちそれぞれの特性を理解し、強制することなく伸ばしてきたからに他なりません。
実際に、父は死刑の代わりに、息子2人を呼び寄せることを持ちかけられた時、「兄は私と共に死を選ぶだろう。だが、弟はどんな苦労をしても汚名をそそごうとする」と言っています。更に、2人を呼び寄せるよりも自らの死を選び、「来るか来ないかは息子たちそれぞれの判断に任せる」と自分の意見を押し付けるのではなく、子どもたちのそれぞれの意見を尊重しています。
このように子供それぞれの個性を理解し認めた父の元で育った結果、自発的に自らの意思で決断ができ、同じ道を目指し衝突し合うこともない子に育つことができたのです。
現代でも同じことがいえます。同じ教育を押し付け、子どもたちの個性を潰していけば、自発的には行動せず、我慢や〇〇しなければいけないと思い込んだ子供に育ちます。そして、そういった子供は相手が自分が思う「〇〇しなければいけない」ことに従わない時には怒るなどストレスを持つことになります。
逆に、子供たちのそれぞれ異なる個性を尊重して伸ばしていけば、数学の道、美術の道、音楽の道、商業の道というように自分の好きな道を目指していくようになります。「〇〇しなければいけない」という気持ちではなく「私は〇〇がやりたい」という気持ちで行動しているので、相手が他の道を選んだとしても、それがあなたの道だよねと受け入れることができます。
ターニングポイントを迎えたとしても、「私はこれがやりたい」「僕はこの道に進みたい」となり、各々が自分の生き方を自己責任で決めることができる子供に育ちます。
その方が子供が幸せになることはもちろん、家族も幸せになります。親は子供に、勉強ややるべきことを押し付けるのではなく、子供たちのそれぞれ異なる個性を尊重して伸ばしてあげ、みんなが幸せになる賢い選択を選んでいきましょう。
この内容は、「横山光輝(よこやまみつてる)」さんの、「史記(しき)」で書かれている内容です。
史記?中国の歴史所でしょ?なんか古臭くて、お固くて、現代人には必要ないね。時代遅れ。なんて思わないでください。
絵はシンプルで、とにかく読みやすくて、人間模様がありありと書かれています。
内容は、人が死ぬときは死ぬ、陰謀が成功するときは成功する、才能ある人も時代の流れにあわなければ滅びる、時代の流れに合えば悪いやつも成功する。そんな歴史上の事実がそのまま描かれています。
脚色されすぎたり、大人の都合で大幅カットされているわけではないので、学びも多いです。
この諺の内容はたったの数ページ(全体の0.05%)。また、記事は厳密さよりも、「わかりやすく興味を持てること」を重視しているため、もっと詳しくしりたい!と思った人はぜひ手にとってみることをお勧めします。
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