2000年以上前に司馬遷(しばせん)によって書かれた中国の有名な歴史書、「史記(しき)」には現代でも活かせる教訓が大量に隠されています。
2000年経っても色褪せない人間の本質から学び、現代における実例や使い方を考えることで常識や固定観念を打破し、これからの人生をより良きものにするためのヒントをリアルな歴史の成功事例と失敗事例から学んでいきましょう。
優秀で組織を思う部下(司馬遷)に、上司(漢の皇帝 武帝)が「お前はこれについてどう思うか?」と意見を求めたことがありました。国のことを真に思い、未来を見据えた意見でしたが、上司が欲しい答えとは違いました。
結果、気分を害した部下は牢屋に閉じ込められ、鞭で散々叩かれる拷問を数日間受けた後、男の大事なところをナイフで切り取られました。この事例のように、例え自分がどんなに優秀で心からこの組織を良くしたいと思っていても、上が無能でその考えを理解できなければ、そのやる気と才能はあっさりと殺されてしまいます。
現代でも無能で横暴な上司の下についたら、たとえあなたがどんなにやる気があって、優秀であっても人生を棒に振ることになります。
昔は上に背くことは命がけで時には殺されることでもありました。ですが、今は違います。上司が無能でその環境に自分の未来がないと感じたら早々に見限って次の挑戦をすべきです。これは早ければ早いほどいいです。時間が経てば経つほどその場所から抜け出す心理的ハードルが高くなります。
なかなか抜け出さないうちに脳が疲労困憊し正常な判断ができなくなり、心がえぐり取られてしまったら再起不能になってしまう。目先の給与、ボーナス、社会的地位そんなものに囚われていてる場合ではありません。自分がいる環境、上司をよく観察して、辞めるべきだと思ったのなら、すべてを投げ打ってでも今すぐにやめるべきです。それは逃げではなく賢さと勇気と挑戦です。周りの言葉に耳を貸す必要はありません。すべては歴史が証明しています。
女に入れ込んでいる人は正常な判断ができない。その女性がまともであればまだいいが、自分の都合の良いように企んでいる場合はかなり危険です。気に入らない人を陥れようと企んできます。ひどい時には命を狙われるかもしれません。
晋の君主 献公(けんこう)は後年になり驪姫(りき)という女性に入れ込みました。もともと子供が何人かいたのですが、驪姫との子供を後継者にしたいと考え、他の子供を遠ざけ始めました。
他の子達は優秀で人望があったことや、父のことを信頼していたこともあり、最初は警戒することもなく父の言うことに従っていました。
驪姫もかなり頭がよく、献公の前では他の子供を推薦するようなウソをつき良い女を演じ、裏では悪い噂をばら撒いて他の子達が足をすくわれるのを狙っていました。
悪い噂の広まりが遅くしびれを切らした驪姫は、ある時、蹴落としたい子供から父へのお供えもがあったときに、こっそりと毒を入れて、子供が父の暗殺を企んだように仕組み、父が子を攻め滅ぼすように仕向けました。
結果、跡継ぎとして周りから最も期待されていた子供は自殺を余儀なくされ自ら命を絶ちました。他の子供たちも追手に追われながら他国に亡命し、命を狙われる苦しい生活を余儀なくされました。
この事例からわかるように、実の親だからといって皆が賢明で子供に愛情を注いでくれるわけではありません。仮に信頼できる優しい父であったとしても、たちの悪い女に入れ込んでしまったら、その女のを信じ、反するものや忠告するものを消しにかかる可能性があります。
血のつながっている実の父親ですらそうなるのだから、血のつながっていない会社の社長や上司だったら尚更のことです。その人たちは自らの意思でその女性を選び取っているのです。そこに下から忠告されたら余計な口出しをされたとイラッとします。また、女性に睨まれたらあなたの身の危険は強まり、立場は悪化していく一方です。
自分の力でなんとか解決しようとするよりも、危険を感じたら早々に見限るべきです。同じぐらいの苦労を味わうのであれば、未来に進む選択をした方が賢い。そうしないと自分の人生を失うことになります。
史記を編纂した司馬遷(しばせん)は前漢の皇帝 武帝(ぶてい)に仕えていました。ある時、武帝から意見を求められた際に、正直に自分の思う意見を述べました。しかし、その内容は武帝の見解とは異なっており、武帝はそれが気に入らず、司馬遷を牢屋に放り込み死刑を言い渡しました。
この国には死刑を免れる手段として、男の大事なところを切り落とす極刑を受ける方法がありました。罪を犯していない司馬遷は、死刑をとるか大事なところを切り落とす極刑を受けるか悩んだ結果、極刑を受け生きる道を選びました。極刑を選んだ結果、長期間の激しい痛みに襲われ、屈辱的な人生を歩むことになりました。
しかし、生きる道を選んだことで、十数年という時をかけ、人生で成し遂げたかった「史記」の編纂ををすることができました。もし、痛みや屈辱が嫌で命を絶つ道を選んでいたら、司馬遷の人生は何も成し遂げぬまま志半ばで終わっていました。当然名も残らず、優秀だったが王の反感を買って殺された人で終わっていたでしょう。
もちろん、死んでしまった方が楽だったはずです。しかし、最終的に何かを成し遂げたり挽回できる可能性があるのは生きる道です。屈辱に耐え虎視眈々と生きていけば、いつか成し遂げる日が来ます。死ぬ時にどちらが自分の人生をやり抜いたと言えるだろうか?どちらが自分の人生を生きたと言えるだろうか?自らにその問を投げかける必要があります。
激痛と屈辱か、それとも死か、どちらかを選ばなければ行けない場合、もし、心のどこかにやり残していることがあるなら未来に可能性があるのは前者です。
現代でも自分のやりたいことができず、生きている意味を感じられない人もいると思います。死にたいと思っている人もいると思います。最終判断を司馬遷から学ぶなら、長期間の激しい痛みに襲われ、屈辱を受けることになっても生きる道を選択するべきです。
司馬遷の判断は自ら痛みを受けてでも現状から抜け出すことを自ら選択したことです。もし、死にたいと思いながら何もせず生きていることは既に死んでいるのと同じです。生きる選択を選ぶことは、痛みを伴ってでもそこから抜け出す決断をすることです。一時的な痛みはありますが、その痛みを乗り越える覚悟を決めて進んだなら必ず未来はやってきます。それは歴史が証明してくれています。
これは上の立場の人に多いかもしれませんが、意図する意図しないに関わらず、相手を苦しめて恨みを買ってしまうことがあります。
もし、一度でも恨みを買うようなことをしてしまったら、相手の持つ恨みはそれを晴らすまで消えることはありません。その恨みは例えあなたが死んでも残り続け、あなたに関連するものに対して晴らされることになります。
春秋時代に孫氏の兵法で有名な孫武と手を組んで楚の国を討った伍子胥(ごししょ)がいます。楚の国の君子 平王(へいおう)はその伍子胥の父に無実の罪を着せて殺しました。その一つの行いの結果、伍子胥は生涯の恨みを誓い、10年以上の時を経て楚に攻め入りました。
その時すでに平王は死んでいました。しかし、楚に攻め入るだけでは恨みが晴れなかった伍子胥は、平王の墓を見つけ出し、墓から死体を掘り出し、既に死んでいる屍に300回のムチ打ちをしました。そのくらい強く恨みぬいていたのです。
このストーリーを諺で「屍(しかばね)に鞭打つ」と言います。
一度買った恨みは、その人が死んだとしても消えません。あなたの死後ですらも残り続けます。決して、人から恨みを買うことを軽んじてはいけません。
人から恨みを買うことは百害あって一利なしです。
この内容は、「横山光輝(よこやまみつてる)」さんの、「史記(しき)」で書かれている内容です。
史記?中国の歴史所でしょ?なんか古臭くて、お固くて、現代人には必要ないね。時代遅れ。なんて思わないでください。
絵はシンプルで、とにかく読みやすくて、人間模様がありありと書かれています。
内容は、人が死ぬときは死ぬ、陰謀が成功するときは成功する、才能ある人も時代の流れにあわなければ滅びる、時代の流れに合えば悪いやつも成功する。そんな歴史上の事実がそのまま描かれています。
脚色されすぎたり、大人の都合で大幅カットされているわけではないので、学びも多いです。
この諺の内容はたったの数ページ(全体の0.05%)。また、記事は厳密さよりも、「わかりやすく興味を持てること」を重視しているため、もっと詳しくしりたい!と思った人はぜひ手にとってみることをお勧めします。
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