少子化や高齢化により人口が減り続けている日本では、地方の過疎化が進み向こう数十年の間に消滅してしまうリスクが高い農村が増えています。
地方移住が叫ばれ、メディアでも地方移住がトレンドとして取り上げられていますが、実態は東京、神奈川、埼玉、千葉の人口が増加し、地方の県の人口が減少しています。
そんな中、鳥取県と兵庫県の県境に位置する岡山県の西粟倉村(にしあわくらそん)は人口1,300人ほどの小さな村にも関わらず、森を使ったビジネスや、木をエネルギー資源としたバイオマス発電が成功し、仕事や人口が増えるといった地域活性化が起こっています。
ここでは西粟倉村の取り組みについて簡単にまとめています。
西粟倉村は面積の95%が山林でそのうち85%がスギやヒノキなどの針葉樹の人口林が占めています。
しかし、木材の輸入完全自由化など時代の流れとともに林業が衰退し、若い人も都会へと出ていき、広大な森林を手入れする人がいなくなり山は荒れ果ててしまいました。
荒れ果てた人工林はただ自然に返っていくわけではなく、災害のリスクになります。
スギやヒノキなど人口林は加工しやすく、家や家具の材料として重宝する反面、育てるには手間がかかります。
定期的に細い枝を切り落とす間伐が必要です。
間伐をしないと十分な日光が得られず補足ひょろひょろとした細い木になったり、病気になって芯が腐ったりします。そして風や雪に弱い木になってしまいます。
台風や大雪が来ると弱った木が倒れ、電線を切断し大規模停電に至ることもあります。
間伐がされていない人口林は地面に太陽光が届かず草が生えません。
このため、大雨が降ると何も覆われていない土が簡単に流され、土砂災害などを引き起こしやすくなります。
このため、人工林を手入れしなければいけない、でも手入れする人材も資金もないという状態が続いていました。
そのような状況の中、地元出身の國里さんが山の木材を使った子供用の家具販売という新しい事業を始め成功につなげています。
國里さんはもともと森林組合の職員でした。そのときに都心部など日本の林業に目を向けてくれる人を増やす施策として「山をを手入れして出てくる間伐材で家具を作り、都心部の人に手に取ってもらうことによって、日本の山の事情を知ってもらおう」という企画書を組合に提出しました。
いったんは採択されたものの、森林組合の事業編成により企画は宙に浮いてしまいました。
やる気に満ち溢れていた國里さんは森林組合を辞め、2006年7月に間伐や整備とそこで出た木材を使って子供たち向けの家具をつくる工房を立ち上げました。
森の間伐・整備という林業経営と工房経営が一体化した事業体は国内でも珍しいものです。
会社設立時はいきなり大々的にやるのではなく、資本金10万円、従業員6人でスモールスタートしています。
最初からお客さんがいたわけではなく、國里さんが幼稚園や保育園に飛び込み営業し、商品の説明をして売っていくというスタイルでした。
それを何年間も地道に続けた結果、少しずつ注文が入るようになり、使ってくれた人たちが口コミで広めてくれて、5,6年した頃には東京や大阪など都心からの注文も増えるようになっています。
この工房のコンセプトは「林業とユーザーのつながりをつくる」ことです。
その一環として、製品を作った職人が、自らお客様のところに運び直接手渡ししています。
職人は「これはわしが採ったんや、大変だったんや」と言っているのを見て、最初は「わし とか言ってるけど大丈夫か?」と思ったそうです。
ですが、お客様は「どこが大変だったんですか?」と興味関心を持ってくれ、そこから話が膨らみ「いい話が聞けた」と満足してもらえることがたくさんありました。
すると職人も「なんか、えかったなぁ」とモチベーションが上がるという好循環が生まれました。
最近は効率化を重視した分業体制が基本ですが、それだと自分の製品を手に取ってくれる人の顔を見ることはわかりません。
誰が使っているかもわからないものを、ただ言われた仕事だからやるという状態になってしまいます。
運営している林業は自分たちで山を買い込むというスタイルではありません。
村の所有者が高齢となり手入れができない森を5年間預かり、間伐作業を代行して森を整備します。
その時に出た木を家具という付加価値を付けて販売して利益を上げています。
そして、利益の一部を森の所有者に還元する取り組みをしています。
このように、地元の住民にとっても工房にとってもWin-Winとなるビジネスモデルになっています。
國里さんの会社の取り組みは村の事業としても取り入れられています。
村に森を10年間預けると、村側で間伐などの整備を行い、付加価値を付けて都心部に販売し、その利益分を所有者に還元する仕組みです。
所有者には負担が一切かからず、山が整備され、お金が入るという大きなメリットがあります。
この事業を始める頃(2008年)の西粟倉村の林業の事業規模は1億円程度だったものが、10年ほど経ったあとは9億円にまで成長しています。
その間に34社が起業するなど、新しい人たちの挑戦も増えています。
村では移住する人や起業する人を募集・サポートしていますが、村に来たらお金を出すということはしていません。
国の地方創生推進交付金や地域おこし協力隊の制度を使ってその費用の中で生活費と活動費をまかなっています。
内容も本格的なもので4年間という長い期間をかけて企業を目指すものです。
まずは起業者の募集をかけ、書類審査や面接を経て選考を通れば、ビジネスモデルを磨き4か月後に再評価した上で、翌年から3年間起業準備するという内容です。
いい加減で無責任な人をふるいにかけ、本気で移住して取り組む覚悟がある人だけを受け入れる仕組みになっています。
西粟倉村はこうした様々な取り組みもあり、若い人の人口や出生率が大きく改善しています。これらの結果は村に定着している人が多いことを示しています。
一般的に移住者は「この村のために何か貢献したい!」という気持ちでやってくることが多いです。その何かは自分たちが持ち込むのではなく、村から与えてもらうという姿勢です。
ですが、その思いがあまりに強いと満たされなかったり、地域住人との関係性がうまくいかず、関係性が途切れてしまいます。
西粟倉村では「なんでもいいから貢献したい!」という人を募集しているのではなく、「あなたがしたいのは何ですか?」から始めます。
貢献を目的としていません。その人のやりたいことを目的としています。結果として村への貢献につながるかもしれませんが、来る人は「やりたいことをやりに来ている」という姿勢です。
このため村と移住者の関係に無理がありません。
もしも、別の場所で他にやりたいことが出てきたら「どうぞ」と送り出してあげます。
すると、仮に外に出ていったとしても、村に抱く思いは好感となり、関係性が維持されることになります。
村と移住者も依存関係にない状態がモチベーションの高い人を増やし、村の評判を上げる好循環につながっています。
移住者が増え新しく生まれてくる子後もが増えたことで2018年4月に新しく保育所が建てられています。
建物は100%村の木材を使用しており、デザインもオシャレです。
幼稚園の基本料金は月額2,500円です。
そのほか一時的な預かりも、早朝預かりは無料、午後預かりは200円/1回と子育てしている家庭にはとても優しい料金体系になっています。
さらに、2人目の料金は半額、3人目は無料です。
更にこの施設は再生可能エネルギーを利用しています。
地元で出る木材の廃材を利用したボイラーの熱でお湯を温めています。お湯が通るパイプが保育園の下を通っていて空気を温め、温かい空気が暖房として出るようになっています。
西粟倉村では再生可能エネルギーとして、木質チップボイラーと小水力発電を導入しています。
保育園を温めるのにも使われている木質チップボイラーは、元々お米を脱穀して乾燥させていた施設を再利用して作られています。
燃料は製材所で出た木材の廃材を細かく砕いてチップにしたものです。何にも使えずただ捨てられていたモノを熱エネルギーとして再利用しています。
木質チップは燃料プールという貯蔵場所に貯められ、自動でボイラーへと送り込まれる仕組みになっています。
ボイラーは2基あり、小学校、中学校、村役場、診療所、デイサービスセンター、保育園など複数の施設の暖房と給湯を担っています。
山間部には水の落下エネルギーを利用した小水力発電所があります。
1966年というかなり昔に作られたものを、2015年に3億円かけて再整備し290kwのとしました。
これが、西粟倉村の一般家庭の約7割にあたる約400世帯分の発電をし、売電収入は年間で7千万円にも上ります。
さらに上流にもう一基新しく小水力発電所を4億8千万円で建設し、村の一般家庭の電気を100%以上自給できるようになっています。
2つの売電収入を合わせ年間約1億1千万となります。
カーボンニュートラル、オフグリッドといった環境に配慮した取り組みが社会的に重要視される中、西粟倉村は既にオフグリッドやカーボンニュートラルが実現できる状態にかなり近づいています。
この記事は環境省 気候変動対策検討委員の山口豊さんが書いた「再エネ大国日本への挑戦」の内容の一部を引用&参考にしたものです。
本書は他にも再エネの細かい事例や日本で起こっている災害の状況が記されていてとても魅力的な内容となっています。
本記事に少しでも興味を持たれた方は実際に手に取ってみることをお勧めします。