礼儀正しくマナーがいい人を見ると誰しもが「あの人は育ちがいいな」と思います。そして自分もああいう風になりたいと思います。
そのあとに続くのは「でも、私はそんな生まれじゃないから、、」と自分の境遇を嘆きます。
それは、礼儀正しくマナーがしっかりできるのは、両親がお金を持っていてちゃんとしている人だけの特権という考えがあるためです。
ですがその考えは思い込みです。
礼儀正しさやマナーすなわち、育ちの良さはちょっとした行動を変えるだけで身に付けることができます。そこに生まれや育ち血筋は関係ありません。
人に好感を与える行動とは何かを知り、その行動ができるかのみです。
ここでは、そもそも育ちのよさとは何か?育ちがよく見られるための行動を具体例を踏まえて解説しています。
最初に結論から言うと、育ちのよさとは所作・言葉遣い・見た目の3つだけです。
いくら実家が金持ちで両親がちゃんとしていても、その人個人の所作が荒々しく、言葉遣いが下品で攻撃的であれば育ちがいい人とは見られません。
逆に、家が貧しくて両親がいなかったとしても、その人個人の所作一つ一つがしっかりして、言葉遣いが丁寧であれば、周りの人はきっと育ちがいい人に違いないと思います。
つまり、育ちのよさとは、所作と言葉遣いに関する知識があれば誰でも手に入れられるものです。
それは、能力やスキルではなく知識です。知っているか知らないかの差でしかありません。
所作とは動きや振る舞い、身のこなしのことです。
育ちがよい人に誰でもなれると言われても、なんか堅苦しくて疲れそうだから私は私のままでいいやと思う人もいます。
ですが、育ちがよい人に見られることは人生に大きなメリットをもたらします。
所作や言葉遣いがしっかりして丁寧な人は、すべての人から好感を持たれます。
例えば、所作が荒々しく言葉遣いが悪い人と、所作や言葉遣いがいい人がいたときに、あなたならどちらに仕事をお願いしいでしょうか?どちらの人と関わりたいでしょうか?
また、似たような容姿の人がいた場合に、所作や言葉遣いがしっかりして丁寧な人とそうでない人のどちらと一緒に時間を過ごせたら幸せでしょうか?
つまり、周りから育ちがいい人に見られるだけでたくさんのメリットが勝手に転がり込んでくるのです。
育ちがいい人に見られることにこれほどのメリットが生まれるのは人が感情に左右される生き物だからです。このため、実績や数値だけでなく、相手から受けた印象や感情が判断材料として使われます。
このため、何か仕事を依頼するときに、ものすごくとてつもない実績を上げているが横暴で攻撃的で嫌な人よりも、ある程度の実績だが堅実で物腰が柔らかく丁寧で信頼できる人を選びます。
また、相手が依頼した仕事を失敗して大損が発生した場合に、前者の人はみんなからことごとく批判され人が去っていきますが、後者の育ちがよく見られる人は一緒になってなんとかしようと助けてくれる人が現れます。
つまり、育ちがよく見られる人は失敗したときも人生が好転しやすくなります。育ちがよく見られるというのは幸せな人生を送るための必要条件なのです。
育ちがいい人の逆で、育ちがよくないとみられる人はどんな人でしょうか?
育ちがよくない人とは人から嫌われる要素の詰め合わせです。
周りの人がこのように感じている場合、その人が社会的に成功することは難しいでしょう。それどころか自分では普通にしているはずなのに、人間関係が悪い・仕事が上手くいかない・人が離れていくといったデメリットばかりが起こります。
また「育ちが悪い」というと上品なように聞こえますが、実際の内容は「下品で汚らわしい」という悪口です。しかも、その相手だけではなく、親や血筋など家庭環境も全て含めてけなされている最上級の嫌味です。
「あなたは育ちがよくない」と言われた場合に「ふん、うちの家がそうなんだから仕方ない」と思っているのであれば要注意です。
理由付けして受け入れてしまうのは簡単ですが、永遠に悩みがつきまとい幸福になれない人生を歩むことになります。
育ちがいい人をイメージするときに多くの人が勘違いしていることがあります。
それは、所作や言葉遣いに絶対的な正解がありそこから外れてはいけないという強迫観念です。
そのように考えている人の頭の中には次のような思い込みがあります。
これらの思い込みがあると「間違ったらどうしよう、、」「わからない」「怖い」「大変そう」「私には無理」という考えになります。
こう考えてしまうのも仕方ありません。私たちは幼い頃から学校で絶対的な正解を求められ評価されてきました。またドラマやドキュメンタリーでも、一流になるためにその業界に弟子入りして厳しい修行を受け、細かい失敗をことどとく指摘されダメ出しされるというシーンを何度も目にし洗脳されています。
私たちがまずやるべきことは、社会において学校がとても異質な環境だと気付くこと。テレビやドラマなどのメディアが、日常とかけ離れた一部を切り出し過剰に演出していることに気付くこと。そして、自身の洗脳をとくことです。
一つ安心して欲しいのは「育ちがいい人」に見られるために抑えるべきポイントは少ないということです。
マナーや礼儀正しさを全て守って初めて育ちがいい人認定されるものでもありません。
絶対的な正解はないのでミスしてもいいのです。むしろ、人はミスするものだと理解して、自分のミスも他人のミスも受け入れられる人こそが本当に育ちがいい人です。
ミスした人を見下し、こきおろし、差別をする人を育ちがいい人とは言いません。ただの嫌な人です。
ミスした人に丁寧に優しく接することができる人が育ちがいい人です。
育ちがいい人に見られるために一番最初に必要になるのが「素直さ」です。
人が「この人は育ちがいい人だ」と判断する行動や言葉遣いには一定の傾向があります。そこを素直に受け止めることができないと、育ちがいい人にはなれません。
次のような考え方をしている人は育ちがいい人にはなれません。
あなたが「この人は育ちがいいな」と感じる人を思い浮かべてみてください。その人は、あなたが「〇〇したらいいよ」と言ったときに「私は私のやり方でやるので結構です」と言って突っぱねますか?
あなたが「こうした方がいいよ」とアドバイスしたときに「みんなと同じなんてダサい。私は自分にあったオリジナルのやり方でいく」と言うでしょうか?
「素直さ」は育ちがいい人になるための最初の必要条件なのです。
育ちがいい人にみられるには大きく3つの要素があります。
育ちがいい人に見られるための1つ目の要素である「ふるまい」です。ここではこれさえ押さえればという6つを紹介します。
育ちがいい人に見られるふるまいの1つ目は「微笑みと姿勢」です。
まず微笑みですが、微笑みとは自然と出てくるものではありません。意識して作るものです。
そもそも微笑みとはどういう状態なのかを理解する必要があります。
微笑みとは無表情と笑顔の間です。
武道でもそうですが、達人は0か100かではありません。隙だらけのド素人と常に100%でギラギラしている人は負けるキャラです。
最強の達人とは、スッと静かにいるだけなのに普通ではないオーラをまとっている人です。
人から好かれる・いい人間関係を築く上で、無表情(真顔)は最弱です。いつも全開の笑顔は弱さがあり負けます。その中間の微笑みこそが最強です。
微笑みとは達人のオーラをまとうためのテクニックです。
微笑んでいる人をみた相手の印象は「なんかこの人目立とうとしてないのに、なぜか上品で好感がもてる」となります。
ほんのり口角を上げ、ほんのり笑いましょう。
姿勢もとても重要です。猫背で無表情の人に上品な人はいません。姿勢がだらしない人に上品な人はいません。その人はだらしない人です。育ちのよさはありません。
育ちのいい姿勢とは背筋がまっすぐピンと伸び、胸筋が全力で張っている状態ではありません。
姿勢も笑顔や武道と同じです。達人というのは、ほんのりと筋肉を使っています。
力を入れすぎてしまったり常に100%では持続しません。だんだん疲れてきてどこかで止めてしまいます。習慣にすることができません。
育ちがいい人というのは、力をほんのり入れればいい。入れすぎなくていいという状態を知っている人です。
育ちがいい人の姿勢は立の姿勢がいいだけではありません。座っているとき、人を待っている時の姿勢もいいものです。
特に待ちの姿勢に育ちのよさが現れます。
育ちがよくないと見られてしまう人の特徴でよくあるのが、相手がおらず待っているときにダラーとしていて、相手が来た瞬間に背筋をピンッとして100%の力を注ぐことです。人がいないときは完全に油断しています。
もしくは、待っている間に「あー遅いな!」カリカリ・イライラして、相手が来たらパッと切り替えるなどです。
これでも、切り替えられない人よりはよほどマシですが、育ちがいい人とは言えません。
育ちのいい人は人がいないときも人がいるときも変わりません。背筋をほんのりと伸ばし、ほんのりと微笑んでいます。
また、あなたを待たせてしまっている相手は悪いなと思っている側です。その人が、ほんのりといい姿勢でほんのりと微笑んでいるあなたを見たら、あなたへの信頼や評価はグっとあがります。
優雅な状態でいることは自分の精神が落ち着くだけでなく、人生を楽に歩むための上品ポイントがどんどんと溜まっていきます。
立や座り待ちの姿勢からもわかるように、育ちがいいかどうかの判断は日々の生活の中のこまぎれの瞬間に行われます。
何か大きなことを成し遂げたことで「この人は育ちがいい人だ」「上品な人だ」となるわけではありません。
日常のほんの些細な瞬間を軽視している人や瞬間瞬間で状態を変えている人は、気づかないうちにどんどんと上品ポイントを失っていきます。
あなたが「あの人は人によって態度を切り替えてるな」と感じるように、周りの人もあなたが0から100へ切り替わる瞬間に気付いています。
つまり、0から100へ切り替える行動こそが育ちの悪さです。
逆に、ほんのりと筋肉を使いほんのりと笑顔で、常に変わらず日常を過ごしている人は意識しないうちにどんどんと上品ポイントが溜まっていきます。
育ちがよく見られる人の特徴を知って気づいた人もいるかもしれませんが、育ちがいい人に見られるための微笑みと姿勢は最も疲れない楽な状態です。
育ちがいい人になるというと気を張って疲れると思う人もいるかもしれませんが真逆です。
人がいないときにダラーとして、人がきたら全力の100%で集中するというのはとても疲れます。
人がいてもダラーとする人は、評価や好感・信頼を得られず苦労する人生を歩みます。
人がいないときも全力100%で集中する人は、疲れ果て燃え尽きます(うつ病になりやすいタイプです)。
つまり、育ちがいい人になるとは最も楽で余裕のある人生を送ることです。
そしてそうなれるかなれないかは、知っているかどうかだけです。
育ちがいい人に見られるふるまいの2つ目は「会釈」です。
育ちが悪い人だと感じられてしまう人によくある態度が、知っている人や偉い人がきたときだけ会釈をすることです。
他の部署の人や、友達の友達など、自分と面識がない人を無視をします。
気恥ずかしさからそうしてしまう人もいるかもしれませんが、その瞬間が切り取られ育ちの悪さとして判断されてしまいます。
そのような態度をとる育ちが悪い人のマインドは次のようになっています。
育ちがいい人と判断されるのは、自分と直接面識がない人にも会釈をした瞬間です。
他の部署の人、友達の友達など、もしかしたらどこかで関わるかもしれない人、間接的にかかわっている人にも会釈をします。
ここでも、全力で挨拶する必要はありません。ほんのりと力を入れて頭を少し下げればいいだけです。言葉を発する必要はありません。疲れることは一切しなくていいのです。
これだけで上品ポイントが溜まります。
育ちがいい人に見られるふるまいの3つ目は「あいさつ」です。
挨拶をするときに、歩きながらや横を通り過ぎながら「おはようございますー」「こんにちはー」と言う人がいます。
こういう人はいつも慌てて急いでいるように見えます。決して育ちのいい人に見られることはありません。
こういった人たちのマインドは「挨拶してるからいい」です。せっかく挨拶しているのに上品ポイントを落としてしまっています。
育ちがいいとみられる人は立ち止まって挨拶すれば上品ポイントが溜まることを知っています。
育ちが悪い人との違いは、ただ立ち止まったかどうかだけです。これだけで相手に大きく好印象を与えることができます。
そもそも育ちが悪いとみられる人は、挨拶するときに立ち止まった方がいいということを知りません。これも、知っているか知らないかだけの差でしかありません。
立ち止まって挨拶をすることや、知らない人にも会釈をした方がいいことを知っていても、やらない人がいます。
そういった人は「そんなことより、今やらなきゃいけないことがある」と考えています。
目の前のことに必死すぎて、細かいことをあなどってきた人たちです。周りの人に配慮したり、ちょうどよく力を抜くことができていません。
こういった人は努力しているにも関わらず、育ちのいい人と見られることがないので、実績は増えるかもしれませんが、幸せな人生を歩むことができません。
また、周りと比較してちょっと実績がいいだけの場合は、仕事や良い案件が回ってくることもありません。
大切なことは常に100%でいることではなく、常にほんのりと姿勢を正し、ほんのりと笑顔で、ほんのりと会釈し、ほんのりと立ち止まって挨拶することです。
育ちがいい人に見られるふるまいの4つ目は「テーブルと腕の関係」です。
とても些細なことですが、手や腕のどこまでをテーブルに乗せているかも育ちがいいかどうかの判断材料になります。
次のような行動を目にしたとき、人はあなたのことを育ちが悪い人だと判断します。
疲れ切ってテーブルの上にあごを乗せている人に上品な人はいません。
肘をテーブルの上にのせるのも相手に威圧的な印象を与えます。育ちがいい人とはみられません。
そもそも、テーブルの上にどこまで乗せていいかを考えたことが無いが人が普通です。
一方、育ちがいいと見られる人は「テーブルの上に置いていいのは手首まで」ということを知っている人たちです。
育ちがいい人に見られるふるまいの5つ目は「靴の脱ぎ方」です。
そもそも靴をそろえない・脱ぎっぱなしという人は論外ですが、見落としがちな勘違いがあります。
それは、靴さえそろっていればいいという考え方です。そのように考えている人に上品な人はいません。
よくあるのが、靴を脱ぐ直前に後ろ向きなり、足をそろえてから靴を脱ぐ。あるいは、靴を脱いだ後に足でちょっちょっと整えるなどです。
確かに靴をそろえていますが、こういった行為を見て「育ちがいい人だな」と思う人はいません。よくて普通。それどころか「育ちが悪い」という印象を与えてしまうことがあります。
育ちがいいとみられる人は、どうすれば上品にみられるかという靴の脱ぎ方を知っています。
それは、そのまま脱いで、しゃがんで手でそろえることです。
周りの人は反対向きになりしゃがむ仕草を見て「この人は育ちがいい人だ」と感じます。
たったこれだけの所作で上品ポイントを貯めることができます。
靴をそろえたという結果よりも、反対を向いてしゃがんだという行動が大切です。
育ちがいい人に見られるふるまいの6つ目は「他人の椅子」です。
育ちが悪い人は席を立つときに椅子を戻しません。
普通の人は席を立つときに自分の椅子だけ戻します。一見丁寧なように見えますが育ちがいい人認定はされません。
なぜなら、その行動は「私のだけ綺麗ならそれでいい。他人は関係ない」というマインドの表れだからです。
育ちがいいとみられる人は他人の椅子もさりげなく整えます。
ポイントは2つです。「他人の椅子」と「さりげなく」です。
自分以外の他人の椅子を整えることができる人は周りが良く見えている気の利く人です。ですが、「あなたの椅子曲がってたから直しておいたよ」というように、私がやってあげたアピールをする人を上品と感じる人はいません。
むしろ、ダメなところを指摘されたようで、口うるさいと感じ嫌悪感を与えてしまうこともあります。
そのため、「さりげなく」元に戻すことも重要な条件です。
アピールする人とさりげなく戻す人のマインドには大きな違いがあります。さりげなく戻す人は「戻して当たり前」と思っています。恩着せがましくしたり、戻すことを強要したりしません。
だから、こそ周りの人が「育ちがいい人だ」と感心し好感を覚えます。
行動 | マインド |
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アピール | 私がやってあげた。褒められたい。 |
さりげない | 他人のも戻して当たり前。キレイな状態がみんな気持ちいい |
椅子を戻す以外にも、部屋を片付ける、ものを片付けるなどもそうです。
その時のあるべきマインドは、「しょうがないな私がやっあげる」「これをやって褒められたい」ではありません。
むしろ、何も考えず、楽に自然にただあるべき元の状態に戻すだけです。そこに感情を入れる必要すらありません。
育ちがいい人に見られるための要素は「ふるまい」以外に「言葉遣い」と「見た目」があります。
どういった「言葉遣い」と「見た目」をすればいいかの具体例については下記をご参考ください。
・品がいい・上品と見られる「言葉遣い」と「見た目」12選(育ちがいい人の具体的な行動)