家族や会社の同僚など自分の人生の中の長い時間を一緒に過ごす人たちがいます。
毎日顔を合わせ、当たり前のように傍に座り、時間を過ごす。私たちは、こういった人たちのことを「よく知っている人」と思います。
実際、「家族のこと良く知ってる?」「隣の席の〇〇さん、良く知ってる?」と1年以上傍にいる家族や同僚について聞かれれば「知ってるよ」と答えたくなります。
ですが、私たちは本当にそういった人たちを理解しているのでしょうか?
元NHKアナウンサーの下重 暁子さんが書いた「家族という病」に次のような記述があります。
家族は同じ家に長年いても、日々の暮らしで精一杯で心の中まで見せません。良い子ほど親に心配かけまいとして相談しないし、親は遠くから見守っています。
むしろ、外の親しい友人の方が分かってもらおうとよく話をするものです。つまり、身近な存在ほど、意外と知らないことが多いものなのです。
これは全ての家族に当てはまるわけではありませんが、夫婦で一緒にいても「今日何があった?」「最近何に関心を持ってる?」というコミュニケーションをとっている夫婦は決して多くはありません。
ただ一緒にいるだけの存在になっていることの方が多いです。
例えば「仲がいい」「知っている」と思う人について次のようなことを答えられるでしょうか?
どれも相手のパーソナルな部分に踏み込みすぎない表面的な質問ばかりです。
意外に答えられないことも多いのではないでしょうか?つまり、「一緒にいる」=「よく知っている」ではないということです。
人には矛盾となる性質があります。それは「知っている」と思っていることほど「知らないことがある」ということです。
なぜなら、「知る」ともっと深い知らないことがでてくるからです。
例えばある人に着目してみます。あなたがその人の名前をフルネームで書けたとして、では親はなぜその名前を付けたのでしょうか?親はどんな名前なのでしょうか?親はどういう人なのでしょうか?など、一つの事柄はどこまでも深堀ることができてしまうからです。
古代ギリシャで物知りと評判だったソクラテスが「私は自分が知らないということを知っている」という無知の知を語ったのは多くの人が知るところです。
もちろん「どこまで深堀ってもわからないなら知ろうとしたって無意味」というわけではありません。
相手との関係性を深めるためには「知ろう」という姿勢こそが大切です。
そのためには、自分自身が相手のことを「知らない」と理解する必要があります。「私は知らない」と悟ることが、知る姿勢へとつながっていきます。
相手を「知ろう」と思って、色々と話を聞いたり、質問をしているうちにあなたと相手の関係はどんどんと深くなっていきます。
そして積み重なった信頼関係は、いざというときに一致団結して助け合う力に変わります。
家族や会社の人たちなど、一緒にいて長い時間を過ごすからこそ「相手のことを知ろう」とすることが大切です。
そうしてできた信頼関係はいざという時の力だけでなく、あなたの人生を充実させるものでもあります。
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