親や上司は子供や部下を育てる立場にいる人たちです。そういった人たちにとって子供や部下が、いかに自ら進んでそれをやろうとしてくれているかは非常に重要な問題です。
教え方が上手な人が教えれば、子供や部下は自ら進んで課題を解いていくようになります。一方、教え方が下手な人が教えると、子供や部下はその課題をイヤイヤやるようになります。
全く同じことをやってもらうのでも、教え方によって受け取る人の印象が大きく変わるのは面白いことでもあります。(実際はそんな悠長なことは言ってられないのですが、、)
ここではどうすると人が自ら学ぶようになり、どうすると興味を失ってしまうのかを、手作り家具家具教室を例に解説しています。
仮に、あなたが自作のテーブルが欲しくなり、日曜日に地元で職人が開いている、地元の木材を使ったテーブル作り教室に参加したとします。
まずは簡単な説明が行われ、木から足を切り出すところから始めていきます。
最初はよくわからないので「すみません。これはどうやってやればいいでしょうか?」と質問します。すると、先生は「それはな、こうやってやればいいんだよ」と言って、あなたの木材を使って実際に足を切り出してくれました。
見事な手つきです。
あなたは見様見真似でそれを試してみます。ところが以外に難しく上手くいきません。それを見かねた先生がやってきて「こうするといいよ」といって木材から足を切り出してくれました。
これで見事な足が2本完成しました。
あなたは見様見真似でそれを試してみます。なんとか足を切り出すことができましたがとてもいびつな形状をしています。
それを見かねた先生が「こうするともっとキレイになる」と言って、その足をほぼすべて削り直してくれました。
結局、4本目やテーブル板も同じような成り行きでした。
テーブル作り教室が終わる頃には、あなたの前には立派なテーブルが置かれていました。他の生徒のものもみな同じような立派なテーブルです。
さて、あなたはこのテーブルに愛着がわくでしょうか?「自分で作った」という遣り甲斐がもてるでしょうか?
そして次回もこのテーブル教室に参加したいと思うでしょうか?
ほとんどの部分で自分以外の手が加えられたモノに愛着を見出す人はいません。このやり方では次はもっとうまく作りたいというモチベーションは湧いてきません。
一方、あなたの参加したテーブル教室の先生が次のような場合はどうでしょうか?
簡単な説明の後、実際にテーブルを作り始めます。
最初はよくわからないので「すみません。これはどうやってやればいいでしょうか?」と質問します。すると、先生は「この器具はこうやって使うんだよ。ポイントはこの部分。これには注意してね」といって、練習用の木材を使って実際の削り方や、キレイにするポイント、注意点を実演してくれました。
あなたはそれを見て見様見真似で試してみます。少し進んだものの、別のところでつまづいてしまいました。もう一度「先生ここが上手くいかないんですが」と質問をしました。
すると先生は「あーなるほどね。最初に削り出した部分とやり方は同じなんだけど、ここは形が少し違うでしょ。こういう場合どうすれば上手くいくと思う?」といって質問をしてきました。
そんなこと言われても、わからないから質問したんでしょという不満げな顔をしていると、「じゃあ、ヒントはこことここをこうしてみて」と言ってヒントを出してきました。
そのヒントを元に考えてみると「あっ!わかった!」となりました。試しにその方法でやってみると上手く行きました。
それを見て先生は「おー、すごいさすがだね」と褒めてくれました。
この調子で1本目の足がなんとかできました。全部自分の手で切り出したのでとても時間がかかりました。
ただ、1本目で機械の使い方やポイントはわかってきたので2本目も試してみます。当然1本目よりは上手にできるようになりました。
こうして、2本目、3本目と進めるうちにコツをつかんで、最後の4本目はなかなかいい出来になりました。
最終的に出来上がったテーブルは足の形状はそれぞれバラバラで、お店で売られているようなテーブルとは違います。
ですが、そのテーブルには自分が作ったという自負や工夫、改善と成長が含まれています。自分が作った立派な作品です。
上手くいかなかったところもありますが「こうすればよかったな」「次回はもっと上手にできるな」という反省が頭の中にあります。
さて、あなたはこのテーブルに愛着がわくでしょうか?「自分で作った」という遣り甲斐がもてるでしょうか?
そして次回もこのテーブル教室に参加したいと思うでしょうか?
答えは当然イエスです。「あそこはこうすればよかった」という悔しい思いは成長のためのモチベーションとなります。
親や上司の立場から考えると「手間や時間がかからない」というのは重要なポイントです。
一見、先生があなたの木材を使って綺麗に作っていった方が時間がかからないように見えます。実際に1本目の作成にかかった時間は比べ物になりません。
先生が実演して質問やヒントを出して自ら答えを出させるようにした場合と比べれば10倍以上の時間の差があるかもしれません。
ですが、2本目、3本目を見ていくと、生徒が先生の手を借りずにほとんど自分で仕上げています。
とはいえ、今回のテーブル作成にかかったトータルの時間は先生がやってしまった方が早いかもしれません。ですが、次回はどうでしょうか?
次回も同じようにテーブルを作る場合、先生がやってしまった生徒は、1回目と同じだけの時間がかかります。
一方、最初に苦労して時間をかけてでも自分の力でやり切った生徒は、1回目よりも確実に早くできます。
先生の手間のかかり具合も、最初に自分の力で作り上げた生徒の方が圧倒的に楽になります。
今回はテーブル作りでしたが、椅子や食器棚を作る場合はどうでしょうか?
最初に先生がほとんどやってしまった生徒は、椅子や食器棚を作る時も、同じぐらい先生のサポートが必要になります。
一方、最初になんとか自力で作り上げた生徒は、既に木を削る機械の使い方、ポイント、コツを体得しています。
椅子とテーブルで形状は全くことなりますが、木を削るという基本は同じなので、過去に学んだことを応用することができます。
もちろんこれまでとは全然違う部分もあり躓くこともありますが、先生が教えるのはその部分だけで事足ります。
毎回機械の使い方を教える必要はありません。
つまり、将来的に見ても、最初に時間がかかっても自力でなんとかやり終えた人の方が手間がかからないし、教える側の時間も生まれるということです。
答えを教えたり、親や上司がやってしまわないようにすることは短期的に見ればとても時間がかかります。
「こんなに忙しいのに!」と思うかもしれませんが、そうまでしても教えるのは、それが将来の「こんなに忙しいのに!」を改善してくれるからです。
将来自分の時間を生み出してくれると理解し、今に投資することは人生を豊かにするためにとても大切なことです。