過去の失敗を糧に再起し、仕事を伸ばしている社長よりいただいた、本質的な社長の心得。
どれも当たり前のようなこと。なのに、ついつい仕事に没頭したり、成果が出始めたり、業績が上がらないと忘れてしまったり、軽視してないがしろにしてしまうことばかり。
だけど、どれかが欠けてしまったら破綻へと近づく。どれも欠けてはいけない。全てがバランスよく存在することで精神的に安定して前に進める。
「健康・丈夫」これが第一。
若い頃の厳しかった肉体労働や、現在も現場に出ることが健康で丈夫な体につながっている。
新しい知識、世の中のこと、アイディアは本を読むことから生まれる。
昭和や平成など過去の時代に取り残されないために重要。人々の考え方は変化していく。その変化の流れをつかみ、会社の制度に適用し、人を理解していくこと。
たくさんのドッグイヤーをつける。線を引く。自分だけのオリジナルの本をつくる。
睡眠は重要。仕事が忙しかったり、何かに追われているときに一番簡単に犠牲にすることが睡眠時間。
睡眠時間を削れば、余った時間でより多くのことができる。
ただし、その時間でできるのはルーティーンワークなど軽度な作業。脳のパフォーマンスは下がり、ミスが多くなり、業務効率は下がる。
いい仕事をしたいなら「寝る」をないがしろにしてはいけない。
夜までに体力を使い切って、寝る。睡眠時間が足りなければ移動の時間など隙間時間で寝る。
悩みを自分で抱え込んでも解決することはない。話をして外に出して、いろんな人の意見を聞くことで前進し解決につながる。
自分一人で悩んで本を読みあさるなどして解決することもあるが、それよりも人に相談する方が圧倒的に早い。
仕事の渋滞が起こるのは自分がボールを持ちすぎたとき。悩み・不安・考え事など、さっさと相談して手放していく。
日本には勤勉なことがよしとされる文化が根強くある。
真剣に仕事をすることは重要だが、それと同様に息抜きをすることも重要。
仕事は一生をかけた長期戦。2、3年なら息抜き無しの勤勉で持ちこたえられることもあるが、精神的に大きな代償を負う。
毎週など定期的に息抜きをすることが、長期的な成長につながる。
人は朱に交われば赤くなる生き物。元気な人に会えば元気をもらえる。
元気な人が歩み寄ってくることはない。元気になりたければ、自ら元気な人に会いに行く。
元気な人と会う機会をつくる。
失敗の原因を突き詰めていくとそこには必ず「見栄」がある。
本当は苦しいのに「大丈夫ですよ」と言ったり、お金がないのに「お金がある」と言ったり、そういった背伸びやよく見られたいという思いが、現実と違った行動を呼び、やがてほころびが大きくなり修正できなくなる。
見栄を張るたびに傷口が広がっていく。
業績が悪化して資金繰りが厳しいときに、「従業員を守らなければ」「雇用を守ることが社長の仕事だ」と考えて、仕事がないのに社員を雇い続けることは状況を悪化させるだけ。
そうではなく、「うちの業績は今とても厳しい。みなさんに給料を払い続ける余裕がない」と正直に伝えること。
変な義務感やプライドを持つのではなく、新しい働き口を探してあげること。見栄を張らずに状況を正直に受け止め柔軟な対応をとることが重要。
お金があるときでも「うちも厳しいので」と言っておくこと。「できる」と思っても「念のため教えてもらってもいいですか」と言っておくこと。
「見栄を張らなない」とは「謙虚であること」に他ならない。
見栄を張ると失敗するとわかっていても、人は見栄を張り自慢したくなるもの。
一生懸命頑張って結果が出たときは見栄を張りたくなってしまう。自分が見栄を張らないように気を付けていたとしても、周りに褒め称えられればついつい気持ちが良い気持ちになってしまう。
特に、営業マンや部下・社員はそういった言葉を上手に言ってくる。
徐々に気持ちよくなると、自分が気持ちよくなっていることに気づけない。気づいたときには「俺はできるんだ」と有頂天になっている。
そんなときにそれはダメだぞ、間違っているぞ、注意しろよと言ってくれる人が傍にいる(置いている)かどうかが、破産への道から戻ってこれるかどうかを決める。
仕事が忙しいとプライベートや家族がついついおざなりになってしまう。
仕事でそれどころじゃないというとき、家のこと妻のこと子供のことが面倒だと思うこともある。
だが、家族は自分次第で最大の憩いと学びになる。
家族は自分の人生の中で、自分自身と仕事の外にいる存在。自分の力で自分のルーティンの外に出るのは難しいが、家族と接することでルーティンから外れた時間を過ごすことができる。
人生の中で自分とは別の人間と深く関わり合うとすればそれは家族である。衝突や悩みもあるが、そこから学べることの方が多い。
子供の成長から学べることも多く、子供がいないとわからないことや共感できないことも多い。
家族を大切にするとは、四六時中家族と一緒にいることではない。
週末など時間ができたときに、眠い目をこすりながら家族と出かけて時間を過ごし、その時間を楽しむことが家族を大切にするということ。